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タイ野外調査同行記

 とあるプロジェクトに新たに拉致されることになり、その関係でタイで行われる野外調査に連れて行かれることになった。どんな目的で現地で何をするのかは特に説明は無かったが、とりあえずダム湖から水と泥をサンプリングするらしい。私が最後に野外調査なるものに行ったのは16年前のことであるし、水や泥の分析なんかやったこともないので、現地では何の役にも立たないことは自明である。そもそも、十数年の間パソコンのモニターの前に引きこもっていたので、荷物運びにすら役に立つかどうか怪しい。というわけで、現地では何の役にも立たないし、ただ行くだけなら無駄だ、と主張したが、「雄大なメコンを見れば世界が変わる。日本の川とは全く違う。それはモデルを作る上で絶対に役に立つから、とにかくついてこい。」とのことで半ば強引に拉致されることになった。
 出発の二日前にリーダーから招集をかけられた。必要な道具を手荷物で運ぶので、各自に割り当てる、ということだった。手荷物でしか運べない精密機械でもあるのかな?とか思いながらリーダーの部屋に入ってびっくり。大きめのテーブルの上に荷物が山積みになっている。それどころか、テーブルの上からあふれたものが床に置いてあった。これ、ほんとに持って行けるのか?みんなで割り振っても持ちきれないんじゃないか?と不安になる。ポリびんとか、保冷剤とか、特別に手荷物で運ばなくていいようなものもたくさんあった。その後荷物のチェックが始まった。これは何に使うとかなんとかかんとか。素人の私には全くちんぷんかんぷん。何となく、自分はここにいなくてもいいような気がしてから1時間後、荷物の割り当ては後でやるから、私は帰ってよい、ということになった。
 翌日、リーダーの部屋に行き、私に割り当てられた荷物を受け取った。受け取ったのは、30mのロープを2本、2キロくらいの金属の重りを2個、長さ60センチくらいで直径が10センチ強の、アクリル製の怪しい器具。パイプが何本かつきだしていて、ゴムの蓋がついている。採水の道具らしい。金属の重りはその付属品だそうだ。どうしても疑問だったので思いあまって同僚に聞いてみた。「あの、ロープぐらいなら先に送っちゃえば良かったんじゃないですか?」答え「だって買ってきたのが今日なんだもん。」あ、そういうことですか。忙しかった、ってことですね。よくわかりました。とりあえず荷物運びは私ができるほとんど唯一の貢献なので、ありがたく頂戴して持って帰った。あれだけあった他の荷物がどうなったのか気になったが、たぶん、うまく分配したのだろう。
 家に帰ってから調査用具をスーツケースに詰め込む。これだけでスーツケースの片側4分の3が埋まった。しかも重りが入っているのでやたらずしっと来る。これ、持って帰ることになったら死ぬな、と思う。たぶんおいて帰る、とのことだったのでそうなるように祈った。久しぶりの海外旅行だし、タイは初めてなので、荷物の梱包に手間取り、結局床についたのは丑三つ時だった。明日は6時半に研究所で待ち合わせなので、3時間ほどしか眠れないな。どうせ飛行機で寝るから問題はないが、寝坊だけが怖かった。

タイ初日(2012年1月26日)

 出発の日。研究所で朝6時半に待ち合わせ。スーツケースは前の晩、というかこの日の未明に運んでいるので、後は体だけ。しかしこの時期、日の出前の自転車疾走はかなりつらい。同僚の車に同乗させてもらって成田空港へ到着。それからタイ航空でバンコクへ6時間半のフライト(写真001)。荷物の梱包で寝不足なので、離陸後はしばらくうつらうつらとした。1時間ほどして昼食。カレー風味の鳥の煮物がなかなか良かった。その後ノートパソコンを出して内職を始めた。今回のタイ抑留が終わった直後に重要な会議があるので、その資料の作成を少しでも進めておかなければならない。しかし、盗まれても良いように、退役していたマシンに再び御出陣をお願いしたので、1時間弱でバッテリーが切れる。仕方がないので映画を見ていた。マネーボールを探し当てて眺めていたが、あんなにもごもご早口でしゃべられたら辛い。そのうち睡魔に負けて寝てしまった。来年になったらテレビで日本語吹き替えをやるだろうから、それまで楽しみに取っておこう。ハリーポッターもやっていたが、中途半端に映像だけ見てしまうと後で楽しめなくなるのでスルーし、中途半端に見ても楽しめそうなリアルスティールを途中まで見た。父親が覚醒する前にバンコクに着いてしまったので、続きが大変気になる。これも地上波で放送されたら見よう。
 バンコクの空港はなかなか立派だった(写真002)。日本との時差は2時間なので時計を合わせなければならない。面倒だな、と思いながら時計をいじっていたら、主要都市の時刻が表示される機能を持っていることが判明。探したらバンコクの時刻表示を見つけた。何年も前に買った古いタイプで、価格もかなり安い方のものだったが、さすが世界のG-SHOCK。感動した。
 バンコクからAIR ASIAに乗り換えて本日の目的地ウボン・ラチャタニへ移動する。搭乗手続きの列に並んでいたが、とりあえず外人の皆さん、間合いが近すぎる。慣れないので、列に並んでいる間何度もびくっとしてしまった。このときにトラブル発生。荷物の総重量が事前申し込みよりも60キロ以上オーバーしており、追加料金を取られることになった。その価格がなんと1kgあたり300バーツ(約1000円)。10kgあたりの間違いじゃないか?と思ったが間違いではないらしい。えらいぼったくり価格だ。格安航空会社はそういうところでもうけるのね。。。
 話を聞いたら、いわゆる最低料金の一人あたり15キロで申し込んでいたらしい。15キロっていったら、私が運搬するように命じられた調査機材の重さが大体それくらいだ。ということは、着替えも含めて私物は一切持ってくるな、ということだったわけですね。。。と悟りを開いても仕方がないので、調査機材をスーツケースから出して、皆で手分けをして機内持ち込み荷物とすることになった。その他、重そうなものを選んでスーツケースからだし、自分のリュックに詰め込んだ。そのときに私が隠し持っていた暑さ対策のスポーツドリンクが没収され、皆の胃袋に収まった。「水が買えないとでも思ったの?」とバカにされたようにリーダーに言われたが、そういう問題では無いような気がするのは私だけ?それはおいといて、ビールに喜びを見出せない私にとって、スポーツドリンクは肉体労働後の疲れを癒す重要なアイテムであるが、それを没収されて至極無念であった。調査機材(金属製の重り2個を含む)などを詰め込んでぱんぱんにふくらんだリュックの肩紐がずっしりと食い込む。きっと、事前の段取りは大変重要だ、と体で覚え込ませるための苦行を敢えてセッティングしてくださったに違いない。さすがに帰りはそのようなことにならないように、その場で予約を修正していた。
 そして空路でウボン・ラチャタニへ。空からこの町の夜景がちょっとだけ見えた。未開の地という先入観を持っていたが、かなり広範囲にわたって街灯が装備されており、大きな街であるらしいことがわかった。しかし、日本と比べると光の密度が低い(写真003)。街灯の間隔が広いわけではなく、それ以外の、街を明るくするような光がないようだった。ウボンラチャタニ空港はでかそうだったが、手荷物受け取り施設が非常に狭く、壁は少々塗装がはげ、さらに電光看板が割れているなど、さすが田舎の空港であった。現地の共同研究者が空港まで出迎えに来てくれていた。
 ウボンラチャタニの町は思ったよりも大きくて賑やかだった。ウボンはハス、ラチャは大きな、タニは町を意味するらしい。町は明るくはないが、屋台がたくさん出ているし営業しているお店も多いのが印象的。コンビニがたくさんあったが、ほとんどすべてセブンイレブンだった。独禁法とか大丈夫なんだろうか?
 この日は現地の人に案内してもらったレストラン(というか半分屋台のような感じ:写真004)で夜8時頃に遅い夕食。タイ料理は辛いことで有名だが、辛くないものを見繕ってもらったので、号泣することはなかった。塩に漬け込んだ豚肉を揚げたものが絶品。これの魚バージョンも絶品だった。変わっているのがご飯の配給システム。子供用の茶碗にご飯とおかゆがそれぞれ入っていて、自分で好きなものを選ぶことになっている。一人一杯を厳密に割り当てられるのではなく、不定期に配達されるので、各人が自由にとるシステムになっていた。
 この日の宿泊は大学付属のホテル(写真005)。後で聞いたら、観光学科というのがあって、そこの学生のトレーニングを兼ねた施設のようだ。最近できたばかりらしく、建物も室内もとてもきれいだった(写真007)。皆絶賛していた。しかし、細部の詰めは大変甘く、工事の時に目印でつけたらしいマジックの後がそのまま残されていたり、モルタルの仕上げがぐちゃぐちゃだったりした。ま、ご愛敬だね。部屋の冷蔵庫にはミネラルウォーターとジュースがおいてあったが、これらは有料だった(写真008)。水が45バーツ、ジュースが100バーツって、外の3倍くらいか。施設内で値段を跳ねるのは万国共通。冷蔵庫の外に無料らしい水が置いてあったので、それを飲んだ。ごくわずかに塩辛く感じた。硬水ってやつだろう。
 コンセントの形状は日本とは違っていたが、日本のコンセントがそのまま使えた。このホテルではネットが使える、と事前に聞いていたが、その通りに無線LANが使えた。しかし、使えるのは無線だけ。有線システムはなかった。無線LAN機能のついていない旧型マシンを持ってきた私は完全に負け組である。
 シャワーを浴びるときに、試しに備え付けのシャンプーを使ってみたら大失敗。髪の毛がごわごわになってしまった。ちょっと気持ちが悪い。明日からはやっぱり持ってきたものを使おう。外ではカラオケパーティーでもやっているのか、夜遅くまで騒ぎの音が聞こえていた。夜遅くまで元気だね。

タイ2日目(2012年1月27日)

 目覚まし代わりの携帯電話をみていきなりびびる。8時半って集合時間すぎてる!と思ったら、携帯は時差調整をしていない日本時間だから、起きたのは予定通りの6時半だった。ちゃんちゃん。7時からホテルのレストランで朝食。食べ物がたくさんあって充実している。調子に乗っておなかいっぱい食べてしまった。その後、ウボンラチャタニ大学へ。午前中にメンバー紹介を兼ねたセミナーを行った。向こうの大学の学部長さんも来ていたが、こっちのリーダーの発表だけ聞いて帰った。さすが、学部長さんともなれば押さえるツボは心得ているね。その後、メンバーの発表が続き、最後に私の番。私はまだ何も始めていないので、自己紹介代わりにこれまでの研究履歴とこれからの計画を簡単にしゃべった。セミナーは1時間ほどで終わった。その後、サンプリング作業に参加する皆さんは、現地の共同研究者の研究室でなにやら相談していた。使う道具とか手順の打ち合わせだろうか?その作業に関与しない私は手持ちぶさたなので、部屋の外のベンチに座って例の内職(資料作り)を始めたが、しばらくして同じく暇をもてあましているカメラマンさんがやってきたので話をはじめた。そうこうしているうちにお昼になったのでみんなで近所の飯屋で昼食。ここではそばのような麺料理とアイスクリームを食べた。壁にウェイン・ルーニーと写った子供の写真が飾ってあった。そういえばマンUはタイに遠征したことがあったね。
 昼食後、リーダーは研究打ち合わせ(現地のポスドクの研究指導らしい)。サンプリングメンバーは機材の準備と買い出し。カメラマンさんと私は何もやることがないので、共同研究者の奥様に街を案内してもらえることになった。この奥様は日本に留学して博士号を取得したので、日本語に不自由しないのが助かった。まずお寺に連れて行ってもらった(写真010)。古くからある有名なお寺らしく、境内の発掘調査も行われているらしいが、本堂は思い切りコンクリート製。いわゆる名刹を期待すると拍子抜けする。このお寺は仏教寺院にもかかわらず(写真011)、建物の構造が十字型をしているし、窓にステンドグラスがはめ込んであったりして(写真012)、思い切りキリスト教の聖堂の造りをしていた。何でそうなのか聞いてみたが、詳しい話は知らないとのことだった。次に陶器の製造工場に連れて行ってもらった(写真013)。ウボンラチャタニは陶器の製造で有名らしく、工場がたくさんあるらしい。工場と言っても機械化された大規模なものではなく、いわゆる町工場で、職人さんが一人で、すべて手作りで植木鉢をつくっていた。電動ろくろを使って、2分ほどで一つ仕上げていた。次に近くのお土産物屋へ。いろいろな種類の陶器が売られていた(写真014)。数千バーツの大きめのものから、100バーツを切るようなおもちゃまでたくさんあった。真っ黒なナマズの置物にはびびった(写真015)。こんなの、どこに飾るんだろう?ここで何か買おうかとも思ったが、塗装が甘かったり、顔が変形しているものが多くて、お土産で渡して喜ばれそうなものが無かったので、結局何も買わなかった。
 その後は船のお寺というのに行った。池の中にコンクリートで舟形の構造物を造り、その上に本堂を設置してあった(写真016)。何でわざわざ池の中に、と不思議に思ったが、なにやらこの地域の王様が、こんなお寺を造れ、と神様に夢の中で言われたらしい。お告げには逆らえませんね。ま、日本でもわざわざ海の上に造った神社とかあるし(厳島神社、あれは確かに美しい
)、この手の施設に余計な文句を言うのは間違っていますね。隣の敷地に軍船を模した結構大きな寺院(水兵の彫像付き)があったので(写真017, 018)、おそらくはメコン川を主戦場にした水軍で勢力を誇った王様でもいたんじゃないかと思う。
 このお寺の前で、パンくずが袋に詰められて10バーツで売られていた。これを池にまくと、うじゃうじゃと出てくるらしい。日本ならば出てくるのは鯉だが、ここではそうではなく、出てくるのはナマズ。しかも巨大な1メートルくらいあるやつ。もし、ナマズがやる気を見せてくれていたら、さぞかし壮観だっただろうが、あいにくと全くやる気がなかったようで、ちょっとしか姿を見せてくれなかった。日本のナマズは肉食だと思ったが、ここでは思い切り植物食なのね。その他、ヘラブナをおっきくしたような、1メートルくらいの巨大魚も少し姿を見せてくれた。
 その後はスーパーマーケットでお買い物。同僚に頼まれていたドリアンチップスを購入。ドリアンの本物の方はまだシーズンではないらしく、やたら小さいものしか売っていなかった。新鮮だったのはまだ熟れていない青いマンゴー。野菜として売られていて、スライスしたものをナンプラーにつけて食べたら結構いけてた。その後、お土産を少し購入。お土産物屋で売っているものよりも、地元のスーパーで普通に売られているものの方が自然な感じがしていい。
 夜は現地の学部長さん主催の夕食会。学部長さんは結局来られなかったがお金は全部出してくれたらしい。会場はなんとカラオケレストラン。タイのグループは大変盛り上がっていた。リーダーは体を張ってそれに付き合っていたが、カラオケを趣味としないメンバーはついて行けず。歓迎会後、ホテルに戻って、この日は少し早めに就寝。

タイ3日目(2012年1月28日)

  この日はいよいよ本格的な調査開始。昨日より早めに午前6時半から朝食、8時ホテル発で大学へ。大学で荷物を積み込んで、本日の目的地、シリントンのダム湖へ向かう。途中のお土産物屋さん(写真019)で日よけの帽子を買う(20バーツ)。日陰を大きくしたかったので、つばの広い物を選んだ。他にもいくつかお店があったが、魚の干物を山積みにしているお店もあった(写真020)。内水面漁業が重要な産業らしいことはよくわかった。雨蛙くらいの大きさのカエルの干物もあった(写真021)。これにはちょっとびっくりした。
 出発から1時間半後にダム湖畔に到着。目の前に立派なお屋敷があった(写真022)。王女様の別荘らしい。庭のメンテの最中らしく、結構多くの人が働いていた。ロイヤル関係ということでちょっと緊張したが、悪ささえしなければ特に問題ないらしい。そこを通り抜けてボート乗り場へ向かう。
 この湖の大きさはちょうど霞ヶ浦くらい(写真023)。山間部に造ったダムではないので、湖岸の傾斜が緩く、水深はあまり無いらしい。水は、特にどりどりに濁っているようなことはなかったが、透明度はそれほど高くない。現地を直接見たらあまりの雄大さに世界が変わる、ということで、無理矢理連れてこられたのだが、人造湖では大して世界は変わらないな。ちょうど霞ヶ浦とか、北海道の平地の湖とよく似た印象だった。それよりも、遠くに見える巨大な、緩やかな背斜構造に目を奪われた(写真024)。この規模のものはさすがに日本ではなかなか見られない。
 車から荷物を運び、ボートに積み込み、やっと出航したのが午前11時近く。とりあえず昼食が遅れるのはこの時点で覚悟できたが、どれくらいの作業が本日行われるのだろうか?みんな色々やっていたが、私には何も出来ることが無い。これまでの人生でこういう作業をほとんどやったことがないので、下手に手を出しても迷惑をかけるだけである。ということで、ただ眺めているだけ。最初から想定できたことだが、狭いボート上にいるだけですでに邪魔者であり、いたたまれなくなった。しかもだんだん頭が痛くなってきた。熱射病というほどでは無かったので、おそらくは日差しの強さで目がやられ、その影響から来る頭痛と肩こりではないかと思われる。何かやっていれば気合いが入るからこういうことはないのだが、ただ座ってみているだけだとダメージの避けようがない。
 結局1時過ぎまで水のサンプリングなどの様々な作業が行われ、その後近くのレストランで昼食。昼食が終わった時点で2時過ぎ。この後の予定を聞いたら、午後のサンプリングを5カ所で行うらしい。午後もがっつり作業をすると聞いて口から魂が抜けていった。この日の宿泊地はここから直線距離で250キロほど離れたところだったので、てっきりこの日の作業はこれで終わりだと思っていた。日本を出発する前に見せられたスケジュール表では、調査の後、その日の内に次の宿泊地への長距離移動を毎日繰り返すようになっていたので、調査とは言っても学生巡検のような軽いものだと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。さらに聞くと、この後はサンプリングした水の処理も行うらしい。当然夕食もある。とりあえず今日のホテルに着くのは12時近くなるんじゃないかと思われるが、みんな大丈夫か?ちなみにこの日の予定と移動距離を日本でたとえると、朝、東京を出発し、霞ヶ浦の調査を日没までやった後、その日のうちに猪苗代湖まで移動し、翌日は猪苗代湖の調査、ということになる。鍛え抜かれた猛者のたてる計画は恐ろしい。これぐらいやらないと野外調査研究はできないのか、とひれ伏すばかりであった。
 午後の作業からは、私はカメラマンさんとともに船に乗ることを免除され、湖面を眺めていた(写真025)。狭い船の上では邪魔なだけだし、その方がみんなにとって良いと思う。思い切り仕事がたまっているので、この時間に何かしたいところだが、パソコンは持ってきてないし、桟橋の上では何も出来ない。「今考えてもどうせ何も出来ないのだから、とりあえず日本に帰ってから考えることにしたらいいよ。」と百戦錬磨のカメラマンさんに慰められた。
 皆はボートで次の調査地へ移動。陸上組は車で後を追う。湖畔リゾート施設と思われる場所で待ち合わせ(写真026)。待っている間に散歩をしていたら、自生のオジギソウを見つけた。オジギソウが普通に雑草として生えているのに感動した(写真027)。君、ここから来たんだね。とりあえず触って遊ぶ。
 その後、さらに2カ所の湖岸でサンプリングを行う。泥浜で傾斜が緩いのはどこも同じだ(写真028)。泥の表面をのたくったような生痕が目につく(写真029)。巻き貝が多数いれば、こういう生痕を残すこともある。確かに巻き貝はごくわずかにいたが、サイズがちょっと合わないし、水中をみても生息密度が全く及ばなかった。巻き貝のように対捕食者戦略を持っていない生物が、このような長時間堆積物の表面にいなければならないような生痕を作ると言うことは、この場所では底生動物に対する捕食圧が低いのではないか?カンブリア紀の大爆発前にはこのような生痕化石が大多数を占めていた。この場所ではエネルギー供給が少なく、栄養段階が高くならないのかもしれない。
 サンプリング終了が午後5時半。美しい夕日を眺めながら移動(写真030)。とてもではないが作業が間に合わないので、なんと移動する車の中で水の処理を行うというアクロバットを決行する(写真031)。途中の街のレストランで夕食(写真032)。さすがにみんな疲労困憊で口数が少ない。テレビでプレミアリーグの試合を流していたので(マンU vs リバプール)それを眺めていた。途中で子象が飼い主に連れられて歩いてきた。20バーツで餌やり体験ができるらしい。同僚の一人が試みていた。
 ホテル到着が午後11時半。揺れる車の中では不可能だと思ったが、水の処理を何とかやりきった。綱渡りを渡りきったのは見事。しかし、皆はまだ残りの作業を行うという。後3日間同様の作業が行われるはずだが、みんな体力は大丈夫なんだろうか?現地の研究協力者もこのスケジュールで大丈夫なんだろうか?むかついてたりしないよね?
 ホテルはようこそアジアへ、という感じ(写真033)。部屋の中にヤモリがいるし、風呂桶は底が抜けている。何より意外だったのが、部屋にコンセントが無いこと。冷蔵庫の奥にあったコンセントを見つけ、デジカメだけそこで充電した。パソコンはテレビのを引っこ抜くかな。しかしwireless internetという看板を発見。ぼろホテルのくせに生意気千万。
 今日はとにかく疲れた。明日は今日よりも楽に過ごせますように。

タイ4日目(2012年1月29日)

 昨日、船の上で日干しになったので、その反省を生かし、日焼け対策で長袖の作業着を着用。これは修士の時の野外調査で使っていたものだ。袖を通すのも17年ぶりだ。胸ポケットを探ったら、蝦夷層群の泥岩のかけらが出てきた。そういえば小さなアンモナイトを拾って胸ポケットに入れていたことがあったな。
 この日からは現地の共同研究者の先生の指導を受けている学生、ポスドクあわせて3人参加する。遅れたらしい。朝7時にホテルのレストランで朝食、ということだったので、みんなレストランにいるのなら少々ちんたらしてもいいかな、となめていて7時4分にフロントに行ったら、なにやら急遽予定を変更し、外食をすることになったらしい。急なことに面食らったが集合時間に遅れる方が悪いので、遅れて申し訳ございません、と謝ってKalasim市街へ出発。車で走っていてびっくり。街中にはいくつも恐竜の彫像がたっていた。思わぬ恐竜の出現に驚きを禁じ得ない。現地の人にこの町は恐竜で有名なのか?恐竜の化石が出るのか?と聞いてみたが通じなかった。鬱。。。なんか恐竜の種名らしきものをぼそぼそ言っていた。全然聞き取れねー。ま、向こうも同じなんだろうな。答えを聞かなくても日本の例を見れば明らかなので、そういうことだろう。しかしタイの恐竜の話なんか聞いたこともない。後で調べてみよう(帰国してからネットで調べたら、数年前から大騒ぎになっているらしい。最近では日本の調査隊も入り始めたそうだ。)。
 町の食堂で朝食をとり、その後昼飯の調達に行った。コンビニかと思ったら行き先は屋台だった。巨大なチキンを割り箸に挟んだやつとか、肉や魚の串焼きが並んでいて、なかなか壮観。好きな串焼きを選んで炭火で自分で焼き、さらにビニール袋にご飯を詰めてセットにして買うのが流儀らしい。現地の学生が適当に見繕ってくれるらしいのでお任せした。
 今日もダム湖で水と泥のサンプリングを行う。1時間かけて今日のダム湖へ移動。気がつくとメコン川とはかけ離れた場所に来ていた。メコンを見なければメコンのモデルは作れないから、現地で何もすることが無くてもとにかくついてこい、と強引に拉致されたのに、メコン川には近づく気配すらない、というか地図を見る限りでは、初日しかそのチャンスがないように思われたので、ちょっと聞いてみた。「メコン川を見に来いって連れてこられたんですけど、メコン川には行かないんですか?」答え「あぁ、今回は行かないよ。」結局ダムばかりでメコンの本流は見せてくれないらしい。通りすがりにでも見せてくれるのかと思っていたので徒労感のマグニチュードが一気にアップした。メコン流域、という意味だったのかもしれないが、支流の、しかもダム湖でメコンを感じるのは正直ちょっと難しい。
 ダムの管理事務所に着いたらそこで調査地の相談を始めた。A地点とB地点を調査したい、B地点までは車で1時間半かかるから無理だ(そりゃそうだ)とか、そんな話。ほぼ部外者の私にはどの場所でなければならないとかはよくわからない。googleマップとかでは調査地の当たりがつけられない事情でもあるんだろうな、とか、自分は船上にいても邪魔者だし、今日は船に乗らなければならない人が昨日よりも3人増えたので、今日も陸上で放置だな、と思いながら事務所の中を眺めていたら、足下においてあった石が目に留まる(写真034)。石灰岩だな、と思ったらどこかでみたつぶつぶが!放置される疎外感が一気に吹き飛んだ。これってフズリナだよね、もしかしたら今日の放置地に路頭があったりしたら化石観察とか出来るかな♪♪♪パラダイスロストの身とはいえ、マニアの血に連なるものとしては興奮を禁じ得ない。
 結局昨日と同じく、調査開始は午前11時。現地の学生が増えた分、見た目にも船上がぎちぎちになので、当初想定通り、カメラマンさんと私は陸上へ放置。午前中の作業は1時間かからない、と言って調査隊は旅立った。皆の帰りを待つ間、化石観察が出来るかな、との淡い期待は当然のごとく霧消する。平坦な土地に作られたダム湖に露頭なんかあるはずがない(写真035)。仮にあったとしても水面下で粘土に覆われてしまってるな。というわけで湖岸の観察をしながら(写真036)、同じく陸上に放置されたカメラマンさんに今日も色々興味深い話を聞かせて頂いた。世界中を飛び回りながら仕事をするプロのカメラマンさんは、さすがに積み重ねた経験が違う。
 結局調査隊が帰ってきたのは昨日よりもさらに遅く、2時間半後の午後1時半。昨日より船上はぎちぎちで身動きが取りづらいし、現地の学生に調査方法を伝授する、というプロセスが入るので、昨日よりも長くかかるのは仕方がない。暑いし、疲れてるし、腹減ってるだろうから、みんないらいらしてないんだろうか、と心配になる。
 事務所でムエタイの放送を見ながら昼飯を食った。タイの串焼きはなかなか美味であった。これ、焼きたてだったらもっとうまいだろうな。昼食後、皆の疲労困憊具合が手に取るようにわかる。食べ終わった後、現地の共同研究者の先生も寝落ちしてしまった。寝不足の上、日を遮るもののない船上での過酷な作業が2日目ともなれば当然だ。聞けば、今日予定している作業の3分の1くらいしか終わってないというし、作業後も昨日と同じく、車で3時間ほど移動し、サンプルの処理作業もあるという。それだけで気が遠くなった。本来、作業に関係していない私が口を出す資格はないが、見かねて具申する。3時間の移動が入るのなら、作業可能なのは本来半日だ。このままのスケジュールではみんなの体が持たないから、もっと軽くなるようにスケジュールを変更してはどうか。寝落ちしていなかった同僚が同様の訴えをしたため、幸いにも聞き入れてもらえ、そのように予定を変更してもらえた。現地の先生に手続きをしてもらって宿泊地も変更してもらえた。最終日に行く予定だった湖の事務所の人も、人員とボートの手配をしてもらっていただろうから、大変申し訳なかったと思う。
 午後のサンプリング地点を削ったが、それでもこの日の作業終了は夕方5時。それから車で移動。移動の途中でいくつも巨大な恐竜の彫像を見つけ、興奮してしまった。後で調べたら、今日の放置地のすぐ近くに恐竜博物館もあったらしい。何もないくそ暑い湖岸に放置するくらいなら、ここに放置してくれたら良かったのに!!!クビ覚悟で恐竜の調査に来てやろうか。
 それから3時間移動し、本日の宿泊地、コーンケーン大学のホテルへ8時に到着。ホテル到着が早い分、昨日よりもだいぶ楽に感じた。ホテル横のオープンレストランで食事。お酒が売っていない、という事実に一部のメンバーが衝撃を受けていた。学生は大学内では酒なんか飲まずに勉学に集中すべし、ということらしい。耳がいてー。それはそうと食事は大変おいしく、タイカレーがなかなかうまかった。食事後、9時からサンプルの処理作業を行うらしい。狭くて揺れまくる車の中で行うよりも疲労感がだいぶ軽いだろうし、みんなも12時には寝られるだろう。
 部屋は普通の古いホテルという感じ(写真037)。きれいではないが、特に汚くはない。特に目につく装備はない。冷蔵庫の中に水とスナック菓子がサービスでおいてあったのはありがたかった。部屋のドアに張ってあった注意書きには、あなたが持ってきた電気製品は使わないでください、と書いてあった(写真038)。申し訳ないが、さすがにその指示には従えません。浪費はしないから、ちょっとだけ使わせてください。ちなみにこのホテルも無線LAN完備で有線システムは無かった。タイ、生意気だぞ!有線→無線というインターネットの進化過程をきちんとなぞれ!跳躍進化すんじゃねーよ。これで日本に帰るまでネットにつながらないことが確定。重要なメールが来てないか、家から連絡が来てないか気になるし、そういえば本田圭佑のラツィオ移籍の噂はどうなったのだろうか???
 明日はおそらく本格的な撮影のためにカメラマンさんも船に乗るだろうから、明日は一人で陸上に放置されるだろうな。もう、湖岸環境のパターンも見飽きた。こういう時は石を投げて遊ぶのが常なのだが、あいにくと湖岸は全面粘土に覆われていて石がねぇんだよ。どうせ放置するのなら炎天下の湖岸ではなく、魚がたくさん泳いでいるところとか、化石が出るところにしてくれ。

タイ5日目(2012年1月30日)

 朝食は併設のレストラン。あまり食うものが無い。それから飲み物もろくなものが無い。水以外は、やたら甘い黄色い変なジュースみたいなのと、やたらと粘性が高く、味のきついコーヒーしかない。飲んで後悔した。
 朝食後、フロントのパソコンが空いていたのでインターネットをチェック。落ち着いて考えれば当たり前のことだが、googleがタイ語だったのにちょっとびっくりする。よく見るサイトを探し当て、本田圭佑のラツィオ移籍決定(→後に某スポーツ新聞の飛ばし記事であったことが判明)と楽天田中将大投手の結婚のニュースを確認。ほうほう、世の中色々動いているようだ。大事なメールが来ていないか気になるので研究所のメールのチェックもしたかったが、公衆パソコンなので万が一を考えて自重した。
 今日は実験手順のビデオ撮影があるらしい。撮影助手として私も一部同行するかも、という話が出た。無駄な時間を過ごすのもあまりにももったいないので、パソコンを持って行ってダムの事務所で内職ということも考えたが、私も乗船するかも、ということだったのでやめておいた。それにしても、あの狭い船の上に全員を乗せて、実際のサンプリングを行いながらビデオ撮影をするのは不可能ではないだろうか、と不安になる。今回撮ったビデオ映像は、現地の学生の皆さんに対して、調査手順を解説する教材として使用するらしい。通常ならば、本当のサンプリング作業とは別にサンプリングの演技を行い、理想的な絵になっているかどうかを確認しながら、丸1日かけて行うものだ、とカメラマンさんが言っていた。しかし、そのような日程は組んでいないので、一発勝負で強行する以外の選択肢はない。
 ホテルから出るときに2日分の料金の精算を行う。きちんと領収書をもらっておくようにベテランカメラマンさんからアドバイスを頂く。アジアでは、後になって「料金を払ってないじゃないか」と難癖を付けられ、二重払いさせられることがあるらしい。(「カード渡して手続きしてたぞ」というと「あれはカードを確認しただけだ」ととぼけるらしい。)。向こうは向こうで踏み倒しを防ぐための自衛なのだろうが、もう少し安心できないものだろうか、と思う。
 ホテルから1時間かけて本日の調査地に移動。ダム湖の事務所に着くと、なんと目の前に露頭があるじゃないか!(写真039)神に感謝を捧げる。本隊がなにやら手間取っていたので、するすると抜け出し、少し崖を登ってその露頭に近づいた。露出しているのは1.5メートルくらい。最上部はオーバーハングした砂岩。その下は泥岩だろうか。土に隠れる直前の最下部は泥岩とは少し様子が違う。どうやら風化した石灰岩のようだ。そしてそれは白いつぶつぶに埋め尽くされていた♪(写真040)たとえ一人で放置されることになっても、今日は退屈しなくて済みそうだ。
 事務所で今日の調査ポイントの相談。今日は船での移動だけで1時間半の行程らしい。調整の結果、結局私は今日も陸上に残されることになった。ま、何もすることがないのに炎天下の船上で干物になる必要もないだろう。こんなことならパソコンもって来とくんだったな、と後悔したが後の祭。ま、今日は近くを散歩したら楽しそうだから全く問題ない、と思っていたが、そうは問屋が卸さない。今日は水のサンプリングと土壌のサンプリングを分業することになり、土壌の研究をしている同僚が陸上部隊として本隊とは別行動を取ることになり、私は同僚の調査に同行することになった。時間がないんだから分業はいいことだ。さっきの崖に後ろ髪を引かれたが、行った先にも何かおもしろいものがあるかもしれない。
 11時前に本体の出港を見送った後(写真041)、同僚とともに車で40分かけて調査地に移動。湖畔まで山が迫り、大きな岩がゴロゴロしている。同僚が土壌のサンプリングをしている間、後ろの山に駆け上って、、、という訳にはいかない。ちゃんと仕事をしなければ。。。ということで湖岸の観察。今日もいつもの湖岸環境かと思いきや、湖畔まで木が生えているし、波打ち際に植物の遺骸が多い。有機物が多く供給される場所のようだ。後背地の山から木の葉が流れ込みやすいからだろうか?有機物が多いせいか、カタツムリの密度がこれまでよりも段違いに高い。底生生物の様子も初日の湖とは違う。表面をのたくるようなタイプは皆無で、目につくものはすべて堆積物に小さい巣穴をあけて住んでいるものだった。さらに今回初めて二枚貝を確認。シジミの仲間はこういう所になじんでいる(写真042)。また、赤貝の仲間らしきものも発見(写真043)。赤貝って淡水にいたっけ?もう一つ、細長い二枚貝も確認(写真044)。ソデガイっぽい形状だが、カワシンジュガイだろうか???とりあえず二枚貝のことはよくわからないので。。。自分は二枚貝の研究をしていたような気がするが記憶が定かではない。たぶん気のせいだろう。それはそうと、有機物の供給が多いところでは生物量も多様性も高いようだ。生痕のタイプから想像すると、捕食圧もそれなりに高そうだ。生物は基本的に陸上からの物質供給に依存しているのだろうか?それともこの時期だけそう見えるだけなのだろうか?
 余談だが、この調査地でオジギソウみたいな木を発見(写真045)。木本のくせに触ると葉っぱが閉じる。結構感動した。幼稚園の時に初めてオジギソウに触れて以来、どうもヅボにはまっている。
 本業が終わったので次は山の見物、というわけにはいかない。お仕事なので、本来の目的であるサンプリングを済ませるのが先である。というわけで再び最初の事務所に移動し、湖底の土壌のサンプリングを行う。桟橋付近は人の影響が強そうなので、少し離れた所に見える岩がゴロゴロした岬の向こう側を目指す。道があればいいね、と同僚は少々気にしていたが、人はなぜか先っぽという場所に行きたがるものなので、何となく道があるのが常である(写真046)。20分ぐらいかかっただろうか。岬の先端に到達。岩がゴロゴロしていて、湖が急に深くなっており、湖底の土壌のサンプリングは大変そうだった(写真047)。その間、本業の観察。水中には沈水植物が群落を作っていた。岩の隙間に土壌があり、その場所には小さいシジミの殻、小さい巻き貝の殻、カニの遺骸が転がっていた。巻き貝もシジミも非常に小さく、定着後すぐに死んだと思われる。無効分散なのだろうか?この場所でも岩の表面に迷路のような生痕を発見(写真048)。巻き貝が一つ乗っていたので、こいつの生痕だろうか。
 結局あまりにも岩場過ぎて、土壌のサンプリングには向かないとのことで撤収することになった。帰り道に転がっている岩をちょっとだけ眺めた。いわゆる砂岩(写真049)。直径0.3ミリくらいの均質な石英の粒が集まっている。ラミナが発達しており、斜交葉理も見られるが、層理面には漣痕もフルートキャストも見られない。Wave baseよりも下。Storm baseよりも上か。一定方向の流れがある場所ではない。定期的に泥が挟まってくるような事もないので、繰り返しイベントで堆積したものではない。級化層理も見られないので、静かな環境で堆積したものではない。結構浅めの陸棚か?堆積相解析は本格的にはやってないんだよな。自分が化石から離れてしまった後で堆積相解析の革新が起こった、という話を当時の院生室で聞いた気がする。。。学位記に博士(地質学)と書いてあったような気がするが、きっとミスプリに違いない。とりあえずこんなに均質な石英の砂岩からは化石の臭いがしない。それは残念だが、ダム湖を見飽きた私には充分知的好奇心をかき立てるものであった。今日はなかなか充実していたな、と思いながらの帰り道、周囲と違った岩相に気がついた。砂岩ではなく、直径5ミリくらいの白いつぶつぶがたくさん入った石灰岩に見える(写真050)。俄然興奮する。同僚が塩酸をかけてみるとシュワシュワと泡が出た。石灰岩確定。白いつぶつぶはフズリナで間違いないと思う。確証が欲しくて何とか内部構造を確認しようとするが、溶けてつぶれてしまっていて、全くよくわからない。うーん。古生代の化石ってほとんど見たことがないからわかんねーんだよな。鬱になる。とりあえず石灰岩層の層厚は1,2メートルくらいでそれほど厚くはない。車で数時間の距離にある最初の湖の事務所にも似た石が置いてあったことから、かなり広範囲にわたって堆積している可能性もあるね。まあ、同層準とは限らないが。しかし昨日の願いが神に通じたのが大変嬉しかった。もうちょっとはっきりわかるやつの方が良かったが、それは贅沢というものだろう。
 ここで気がついたのが、蜘蛛の巣がないこと。日本であれば、これくらいの気温で森の中を歩けばむかつくぐらいに蜘蛛の巣が顔に張り付くのだが、この季節のタイではそれが全くなかった。これは、飛翔昆虫が全くいないことを意味している。トンボ、蝶、蛾は少し見たが、昆虫類の異様なまでの少なさは気になっていた。そういえば、事務所の前に小魚が干してあったが(写真051)、気温が30度を超えているにもかかわらず、ハエがたかっている様子は全く無かった。思い返せば今回の道中、蚊に悩まされることはほとんどなかった。この暑さにもかかわらず、真冬のような生き物の沈黙は、新鮮なまでの違和感であった。まさか昆虫類やそれを食べる蜘蛛がいないわけはないだろうから、別の季節に来れば今回とはまるで違う生態系の姿を見るのかも知れない。
 それから、今回はここまで魚をほとんど見なかった。内水面では世界最大の漁業生産量を誇ると言われるメコン川流域で、結局見た魚は体長5㎝くらいの小魚を1匹と、体長10センチくらいの魚の遺骸だけだった。このまんまじゃバイオマスが異様に低い生態系を作ってしまいそう。だからモデリングに際しては半端に見ない方がいい、とあれほど言ったのだが、聞く耳を持たずに強引に拉致するから。。。今必死でサンプリングしているそれも、おそらくは仮の姿だろう。ま、定期的に定点サンプリングするらしいからこちらの方は問題ないと信じている。結論としては、乾季というのは生命活動がほとんど休止する真冬のように考えれば良いだろう。モデルを作るときはこの条件は外せないだろう。ちょっと気になるのは、魚がどうしているのかと言うこと。変温動物の魚は、温度が高くなればその分エネルギーの消費量が増えるはずだが、これだけ生物がいない状況でいったいどうしているのだろうか?秘密の餌でも食べているのだろうか?それとも、水温が低い湖底でじっとしているなど、エネルギー消費を抑える工夫をしているのだろうか?
 結局サンプリングのしやすさを重視し、桟橋付近で湖底土壌のサンプリングをすることにした。サンプリングの最中に波打ち際を観察していたら、転石の影にイガイ科の二枚貝を発見(写真052)。形状からしてヒバリガイだろう。殻長1cmくらいの超小型のものだったが、こんなところでお会いするとは思いませんでしたよ。一応昔このお仲間にお世話になったのでご挨拶をしておいた。
 そういえば、メコンの二枚貝ってどういう進化をしたんだろうか?成体の移動はほぼ不可能で幼生は基本的に受動分散のはずだから、川をさかのぼるのって難しいだろうに、いったいどうやってここまで来たのだろうか?また、幼生が流されれば、だんだんと分布は下流にシフトしていきそうな気がするが、その問題はどうするのだろうか?もしかして定期的に川が逆流するイベントでもあるんだろうか???そもそも、彼らはいつからここにいるのか?この辺を突き詰めればおもしろいかも知れない。
 その最中に本体が帰ってきた。この時点で午後1時40分。ここから昼食をとる。この日は湖の管理事務所に弁当が配達されていた。やきうどんのような簡単な弁当であったが、このサービスは大変ありがたい。昼食を終え、2時半から調査再開。ただし、今日は20分くらいで仕掛けを回収してそれで終わり、ということにしたらしい。これくらいの余裕がないと身が持たないよね。
 この日は午後4時にホテルに到着(写真053)。これからサンプルの処理と現地のスタッフにおいていく機材の説明を行うらしい。1時間ちょっとで終わらせて、遅くとも6時にはビールを飲みながら夕食を、とリーダーは意気込んでいたが、6時を過ぎても何も動きがない。午後7時半を過ぎたときはあまりの空腹に、自分の存在を忘れてみんなすでに飯に行ってしまったのかと妄想してしまった。結局作業終了は予定を大幅に超過し、4時間後の午後8時であった。おかげで別件の仕事が進んだ。今回はこんなのばっかりだな。その後みんなで街へ繰り出す(写真054, 055)。最後のディナーと言うこともあり、現地スタッフもちょっとだけ本気を出してメニューをチョイスしたようで、今日の料理にはおこちゃまの私の口には厳しいものが少々混じっていた。これでもミディアムレベルなんだそうだ。ほんとに本気出したらどんなのが出てくるんだろうか?メニューのタイ語を覚えないとここでは生き延びることは出来ない。
 明日は朝に事務所に寄った後、そこからさらに1時間離れた場所のサンプリングをやるらしい。明日は夕方の飛行機に乗って帰国の途につく予定である。予定を超過して飛行機に乗れなくなったりしないだろうかと不安になるが、最終日の予定は大幅に短縮してもらえたし、さすがに飛行機の時間を無視して作業を続行したりはしないだろう。とにかく、無事に飛行機に乗って日本に帰れますように。

タイ6日目(2012年1月31日)

 今日は朝から昨日の湖へ。事務所に着いた後、魚を捌いて耳石を取る手順の実演をする組とサンプリングをする組に分かれる。サンプリング組は1時間ほど車で移動しながら2カ所のサンプリングを行う。本日の目的は、現地のスタッフに実際にサンプリングの実習を行ってもらうこと。
 私はサンプリング組に同行。昨日みたいに、おもしろい化石とかみれたらいいな、と期待した。しかし1カ所目は水田地帯だったので、周囲は真っ平ら(写真056)。水田と粘土しか見えない。湖の環境にも特筆すべきことはない。当然のことながら露頭なんかない。無念。それはそうと波打ち際、というか湖の中まで水田が広がっている(写真057)。こんなところに作っても雨期になれば完全に水没すると思うが大丈夫か?それとも昔の残骸なのだろうか?ツバメが乱舞していたことと、アメンボがうじゃうじゃいたのが印象的(写真058)。アメンボを狙ってツバメが何回もアタックを繰り返していた。
 2カ所目は集落の先の少し飛び出た岬(写真059)。傾斜が緩い粘土質の土地がそのまま湖へ沈む構造はどこでも同じ。植物片が波打ち際につもっていたので、ここでは巣穴を作るタイプの小さい底生動物の穴が空いている。また、例の巻き貝の死に殻がたくさんあった。現地の学生に聞いたら、この巻き貝は食用で結構おいしいらしい。また、例の細長い二枚貝の殻もあったが、これも一応食用らしい。湖の少し深いところに住んでいて、魚を捕る網に引っかかってあがってくるそうだ。すぐそばの作業場では魚肉の団子を作っていた。魚の存在はほとんど感じられなかったが、一応水揚げはあるのだろう。壁の写真には秋篠宮様が御視察に訪れられた時の写真が飾ってあった。
 今日の作業はこれで終了。その後車で1時間かけてダム湖の事務所に戻った。道具の片付けとか今日のこの後のスケジュールを相談していたので、事務所の周りをふらふら歩いていたら、植え込みの根元に妙なものが飾ってあるのが気になった(写真060)。一瞬“でっかい木の固まり”に見えて、気になったので見に行ったら手触りは砂岩だった。この辺の均質な砂岩と違って5ミリくらいの色の薄い砂の層と2ミリくらいの薄い黒い層が周期的に繰り返している構造をしていた。さらにごくわずかに円形に湾曲していた(写真061)。あれ?この辺の真っ平らに堆積した砂岩と違うな、と違和感を感じて、もしかして?と裏側をのぞき込むと、もろに木材の構造が見えた(写真062)。つまりこいつの正体は巨大な珪化木であり、周期的な繰り返し構造は年輪の痕跡だったのだ。湾曲具合から見積もると、直径は1.5から2メートルくらいの巨木だったようだ。事務所周囲を探すと、同様のものがあと二つあった。もう出発時間が来てしまったので詳しい話は聞けなかったが、こういうのがごろごろしている場所が近くにあるのかもしれない。どうせ放置されるんなら、そこに放置して欲しかった。とりあえずはっきりとそれとわかる化石を見せてくれてありがとう。放置プレイのご褒美と解釈し、感謝を捧げながら事務所を後にした。
 湖のすぐ近くの町で昼食。牛肉入りの麺をいただいた。付け合わせに出てきたゴーヤらしき野菜の輪切りがナンプラーと非常に良く合って、浅漬けみたいな食感で大変おいしかった。タイ料理の味にも少し飽きていたので、ボリボリ食ってしまった。その後2時間かけてウドンターニの空港へ移動。午後3時半くらいに空港近辺に到着。飛行機は6時の予定。最終日は飛行機に乗って帰国なので、これくらい余裕があると焦ることがないので助かる。もし最初のスケジュール通り、別の湖のサンプリングが入っていたら、と思うと身の毛がよだつ。絶対間に合わなかったね。
 1時間くらい余裕があったので、現地のスタッフから3つの選択肢が提示された。1:タイ式マッサージ、2:部屋を借りてシャワーを浴びる、3:土産店に行く。タイ式マッサージという気分じゃなかったし、シャワーを浴びるのも面倒だし、ということで土産店へ。いくつかココナッツスライスとか、お菓子とか、いくつかお土産を購入した。
 その後午後4時過ぎに空港到着。スーツケースを開けて荷物を積み替えた。私は帰国時に備えて冬用装備をスーツケースから出した。田舎の空港なのでたいした店はなく(写真063, 064)、チェックイン後は待合室で待機。何か事情があったようで、出発が1時間遅れ、離陸は7時となった。8時過ぎにバンコクへ到着(写真065, 066)。ここで居残り組(もう1日バンコクで別の研究者と研究打ち合わせがあるらしい)と帰国組に分かれた。日本への飛行機は夜の12時と聞いていたので、ゆっくり晩飯を食うのかな、と思ったら、なぜかみんな慌てている。チェックイン窓口を探す時になってその理由が判明。私が12時に近辺に出発する飛行機のリストをチェックしていたら、みんなはそれとは全然違う10時半くらいの便を見ていた。いつの間にか便が変更されていたらしい。最初の話と変わっているよ、と一言あったら助かったが、確かに配布されたチケットには時間が書いてあったので、それを確認しなかった私が負け組だね。一人だったら完全に空港で野宿パターンだったな。ということでほとんど余裕がないことに私も気がつく。チェックイン窓口も行列していたし、パスポートコントロールも行列していた。とりあえず搭乗口まで急ぐ。それがまたえらく遠くにあった。なんか遠回りさせられているような気がする。途中にたくさんの店を配置して色々買わせようということなのだろうか?搭乗口を確認し、15分くらい余裕があったので、今夜の夕食の調達と頼まれていた土産物を探す。記念の置物を頼まれていたのだが、空港の外では、顔が妙に変形したものとか、色塗りが雑なものとか、100円ショップでも売れないようなクオリティーのものしか無かったが、さすがに空港内ではそんなことはなかった。しかし、値段の方もそういうこと。値段の上昇曲線は一次関数ではないな。跳満でも直られた気分だったが、時間がないので観念してさっさと購入。食料も一番近くの店でサンドイッチとパイナップルパイを購入。飛行機に乗り込む。客室乗務員の皆様が挨拶してくれるので、タイ式の挨拶で応じていたら、最後の一人には「こんにちは」と言われた。あぁ、日本の方ですか。一週間ぶりなのですいません。ただ、なんかとっても安心した。まだ出発していないが、時計をさっさと日本時間に合わせた。ほっとした。離陸すると寒いので冬用装備に換装し、睡眠の体勢に入るがなかなか寝付けない。隣のおじさんが少々恰幅がよく、はみ出してきて苦しいし、要所要所で「フゴッ!」といびきをかくのでなかなか寝付けなかった。結局寝たのは1時間くらい。午前5時半に成田到着。荷物を受け取った後、持って帰る泥のサンプルが植物防疫法に引っかかるので、担当した同僚が窓口でその手続きを行った。10分か15分くらいかかった。外へ出たときの日本の寒さが印象的だった。タイにいたのが既に遠い昔のような気がした。同僚の車に乗せてもらって研究所へ午前8時半に到着。
 そして現実が私を襲う。プロジェクトの発表会まであと6日しかない。その間に1泊2日の出張も入る。このくそ忙しい時期に放置プレイをされるためだけにタイに抑留されたのは大変痛かった。徹夜してでも終わらせなければ。。。現実は夢の終わり、とはよく言ったものだが、できればもう少し良い夢が見たかった。

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写真001: タイ航空の飛行機

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写真002: バンコクの空港

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写真003: ウボンラチャタニ市街

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写真004: 夕飯を食べたレストラン

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写真005: 大学付属ホテルの正面玄関

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写真007: 大学付属ホテルの客室

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写真008: 客室の冷蔵庫の中身

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写真010: 訪問したお寺

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写真011: 訪問したお寺のご本尊

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写真012: 訪問したお寺のステンドグラス

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写真013: 陶器工場

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写真014: 陶器の土産物店

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写真015: なぞなテイストのお土産

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写真016: 船のお寺

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写真017: 軍船

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写真018: 軍船の甲板に乗れます。

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写真019: 土産物店が並んでいる。

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写真020: 山積みのひもの

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写真021: カエルのひもの

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写真022: 王女様の別荘らしい

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写真023: この日の調査地。シリントン湖。人造湖。

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写真024:背斜構造の左側。巨大な弧を描く地層の一部。

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写真025:船上で調査中の皆様。

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写真026:待ち合わせ場所のリゾート施設?

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写真027:野生のオジギソウ。

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写真028:この日の調査地その2。

写真029:何かの生き物の這い跡。

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写真030:夕日。疲労感の記憶と結びついてしまった。

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写真031:揺れる車内での濾過作業。

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写真032:この日のレストラン。

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写真033:Kalasinのホテル。

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写真034:事務所においてあった石。フズリナが入っている。

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写真035:この日の調査地。Lampaoa湖。

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写真036:湖岸の民家の庭にあった子供のおもちゃ。これは誰が何と言ってもBearである。そう書いてある。

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写真037:コーンケーン大学の宿泊施設。

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写真038: ドアの注意書き。さすがにそれは勘弁して、ということも書いてあります。

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写真039:Ubolratana湖事務所横の露頭。なんかいい感じ。

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写真040:岩石中の白いつぶつぶ。これもフズリナか?

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写真041:この日の調査地。Ubolratana湖畔。

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写真042:別働隊の調査地で見つけたシジミみたいな二枚貝。

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写真043:アカガイによく似た二枚貝。

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写真044:細長い二枚貝。あとで判明するが、実は食用らしい。

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写真045:オジギソウによく似た木。触るとほんとにお辞儀する。

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写真046:途中で見つけた奇岩。拝みたくなってしまう。

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写真047:ここで湖底の泥を取るのは厳しいかな。

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写真048:石の上の這い跡。

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写真049:巨大転石の層理面。

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写真049:石灰岩の転石。化石が含まれていることは間違いない。大部分がフズリナか?

051_s_DSC06806Ubolratana湖事務所前に干してあった小魚.j

写真051:Ubolratana湖事務所横に魚が干してあった。全くハエがたかっていない。

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写真052:小さな二枚貝。その節はお仲間におせわになりました。

写真053:コーンケーン大学宿泊施設の廊下。

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写真054:コーンケーン市街。

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写真055:果物てんこ盛り。

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写真056:Ubolratana湖2日目。

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写真057:ほとんど水没している田んぼ。

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写真058:アメンボの大群。

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写真059:この日2カ所目。

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写真060:見事な珪化木。

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写真061:珪化木の断面

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写真062:こう見ると木にしか見えない。

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写真063:ウドンターニ空港。

写真06:

064_s_DSC07072ウドンターニ空港近くの土産物屋_トリミング.jpg

写真064:ウドンターニ空港のお土産物屋。なぜか日本人形がおいてある。

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写真065:夜のバンコクの空港

写真066:なんか綱引きしてる。

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