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小笠原調査記

2012年6月27日

 3年前から小笠原諸島の生態系を保全する研究プロジェクトのメンバーになっている。もちろん私がやるのはシミュレーションモデルを作ることである。素人が半端に島を見てしまうと、自分の見たごく一部のプロセスを過大評価したいびつなモデルを作ってしまう危険があるので、今まではあえて自分ではいかないことにしていた。それよりも、長く小笠原に関わっている人たちの“感覚”を重視してきたが、とりあえずモデルが形になったので、今ならば変なモデルにしてしまうことはないだろうし、研究プロジェクトのとりあえずの最終年度なのでついに私も小笠原諸島に行くことになった。
 小笠原諸島には東京から定期船が出ている(写真001)。それしか交通手段はない。東京から1000キロ、25時間30分の船旅である(注:2016年夏に船が新しくなり、24時間に短縮)。小笠原に実家があったら里帰りが大変だろうな、と思った。港はJR浜松町駅北口から徒歩で数分のところにある。駅を出ると、いかにも今から南の島へ行きます的な装備の人がちらほら見かけられた。受付をして乗船口へ向かう。階段の入り口に係員が立っていたので、券を見せて行っていいかどうかを聞くと「行っても詰まってますよ」と言われた。行くなと言われなかったのでそのまま進んだ。
 船に乗って自分の場所を確認する。先輩の薦めで特二等船室を予約していた。特二等は寝台列車の二段ベッドを想像してもらうとわかりやすい(写真002)。広くはないが、それは当然のこと。ベッドによっては電源が使えるかも、ということだったので期待していたが、残念ながら電源はなかった(注:新しい船になって、特二等は全ベッド電源使用可。テレビも装備。)。一番困ったのは天井が低いこと。ベッドの上に座ることができない。水筒から水を飲むにも、体を変に曲げなければならないので少々つらい。パソコンの作業もやりづらい(今これは枕を背もたれにし、少し斜めに座ってキーボードを打っている。注:新船に変わってこれも改良された)。中の自販機の値段は内地と変わらなかった。どうせ倍だろうな、と覚悟していたが、値段が同じだったのは大変良かった。
 船のエンジンがかかると、結構うるさかったし、船が妙に震動して落ち着かなかった。船は定刻10時に出航。せっかくなので甲板に出て東京湾の風景を眺めていた(写真003)。うろうろしていたら、同じ船に乗っている学生の皆さんや、研究所の同僚にも会ったのでご挨拶と少々立ち話をした。お昼になって自分のベッドに戻り、買ってあった軽食を食べた。その後横になっていたら、そのまま眠りに落ちた。ここ2,3日あまり寝ていなかったので、そのまま泥のように眠った。おかげで船酔いもせず、暇で困ることもなかった。
 夕方6時、レストランの営業開始のアナウンスで目が覚めた。やることもないのでとりあえず行ってみたら、長蛇の列ができていた。さすがにこれに並ぶのはつらかったので甲板に出たら、ちょうど八丈島を通り過ぎるところだった。しばらく眺めていようと思ったが、海水のしぶきがかかるので退散。特にやることもないのでベッドに戻って旅行パンフレットを眺めていたらまた睡魔に襲われた。
 夜8時半、今度はレストランのラストオーダーのアナウンスで目が覚めた。食いっぱぐれるとさすがにきついので、急いでレストランに向かった。今度は並ばずに入れた。システムは大学の生協食堂みたいな感じ。初めてなので少々戸惑った。生姜焼きを注文した。当然値段は少々高め。味は普通においしかった。夜になるとさすがに人が減ってくる。電源がそばにあるベンチが空いていたので、パソコン使えるかな、と急いで取りに行って戻ったら、読書をする人に先に取られてしまっていた。無念。ということでベッドに戻る。まあ、数時間は持つから電源無しでやるか。船は10時消灯。昼間にあれだけ寝まくったので、少々目がさえているが、横になっていたらまた眠くなるだろう。

2012年6月28日

 朝6時、ベッドの下の段にいた人の目覚まし時計で目が覚めた。それとほぼ同時にレストランの営業開始のアナウンスが流れた。朝飯は手持ちのもので済ませる予定だったのでレストランの案内は無視し、そのまままた眠りについた。次に目が覚めたのは8時、レストランのラストオーダーの時間のアナウンスだった。寝ぼけながら手持ちのものを食べる。確か9時くらいに今回の調査地、聟島列島のそばを通ることになっていたのを思いだし、まだ8時半だったがちょっと早めに甲板へ出る。遠くに聟島列島が見えた(写真004)。ぺったんこの3つの大きな島の間にぎざぎざした岩の固まりがいくつも見える。何番目が今回行く島か忘れた。真ん中のぺったんこの島がほんのり黄緑色に見えた。この島は草原で覆われているのか?ということを考えながらぼうっとしていた。日光になれておかなければならないので、それから2時間ほど甲板にいて、3つの島を眺め続けていた。いい加減立っているのに疲れたので、ベッドに戻り、横になったらまた寝てしまった。次に目が覚めたのは、まもなく到着というアナウンスだった。船は既に湾内に入っており、接岸間際だった(写真005)。ということで、クルーザーがたくさん集まって「お帰りなさい」と歓迎してくれるイベントは見られず。
 とりあえず海の青さと日差しの強さが印象的。甲板の上での日光対策など無意味に思えるほどの暑さだった。さて、船を降りたはいいが、どこへ向かって良いのかわからない。間抜けなことに、今回お世話になる首都大の施設の地図をプリントアウトするのを忘れてしまっていた。同乗していた学生の皆さんともはぐれてしまい、どうしようもない。まあ、最悪交番で聞けばいいか、と開き直っていたら、共同研究者がお迎えに来てくれていた。その後、学生の皆さんとも合流でき、首都大の施設へ向かった。その後みんなで昼食を取り(海鮮丼)、午後は自由だったので、私は暑さ適応のため、島内を歩くことにした。歩いているとさすがに汗だくになる。しかし、少し風があるので地獄の苦しみと言うほどではなかった。町に出て、公園を通り抜けると砂浜に出た。白い砂と青い海がまぶしい(写真006)。基本白い砂なのだが、所々に珊瑚のかけらが集まっていた。自然に集められたものではなさそうに見えた。もう少し歩いていると、砂浜の上にキャタピラーで移動したような跡がいくつも残っていた。最初に見たのが2列平行になっているものだったので、車だと思い込んで、「こんな砂浜に車を乗り入れるなんて無粋だな」と落ち込んだが、よく見ると1本だけのものもあるし、妙に蛇行しているものもあるし、コンクリの壁にぶつかっているものもあるし、、、というのを見てやっと気がついた。これはウミガメの産卵の跡だ。これだけくっきりと砂浜に残っていると言うことは、全部昨晩のものだろうか?そうすると12,3匹一晩で産卵に来たことになる。許されるものなら見てみたいと思った。
 それからさらに試練を与えるという意味で、山の上の公園に上った。高いところはさすがに見晴らしが良かった(写真007)。これを眺めているだけならいいところなのだが、明後日からの地獄を想像すると気が滅入る。山の上の散策コースを一通り回ったが、結局すれ違ったのは一人だけだった。まあ、くそ暑い南の島でこんなところをふらふら歩いている物好きなんてそんなもんか。
 夕方になったので施設に帰る。仕事柄ちょっと気になったのは侵入植物のギンネム(写真008)。あちこちに結構立派なのが生えていた。それからタコノキ(写真009)の根元によく生えていた。おそらく、そこは草刈りが入りづらいのだろう。また、実生はあちこちに生えていた。これを駆除するのはなかなか大変そうだ。
 夕方から打ち合わせ、私は全日程に渡って写真撮影が仕事らしい。また、二日目からは鳥班に合流し、草刈り作業を手伝うらしい。果たして、生き延びることはできるのだろうか?
 施設での生活は基本的に自分で行う。飯も自分で調達する。初日はプロジェクトの同僚(今回の調査では指導者となっていただく)と一緒に外食に行った。歯ごたえのある白身魚がメインのどんぶりを食べた。独特な味で記念になった。ちょっと量が足りなかったのが残念。夜はメールをチェックし、少々パソコンで作業して就寝。

2012年6月29日

 朝7時半に起床。案の定、私が最も朝寝坊。調達してあったパンを食べた後、同僚の指導の下で荷物の梱包を行う。要領の悪い私が現地でまともに行動できるはずがない。後は神に祈るのみだろう。別の同僚に巨大な防水バックを貸していただく。実は私が購入した防水バックはリュック型の物でなく、痛恨の極みだったので、大変助かった。お昼はカップ焼きそばを食べる。容器はでかかったのに、中身は半分以下だった。これは詐欺だ!その後、洗濯をした。これで無人島から帰ってきたときに着るものに困らなくていいと思う。小笠原から帰った後、10日ほどあけて今度はラオスに連れて行かれることになっているが、その支払い作業をせよとの連絡が来ていたので小笠原から行う。思い切り離島なのに、携帯電話が通じるのに感動した。夢のようだ。電話料金のことは知らん。まさか跳ね上げられたりしないだろうな(注:普通でした)。あとは翌日の飲み物等の準備を行い、明日に備える。明日は早朝4時に施設を出発。4時半出航予定。その後3時間かけて目的の媒島に向かう。それから3泊4日、無人島で過ごす。同行する首都大の先生から「体力なんか何の役にも立ちません。役に立つのは気力だけです。」という大変ありがたい言葉をいただく。あ、そうなんですね。体力が尽きるのは前提ということなんですね。根性無しの私は、果たして生き延びることができるのだろうか?
 パソコンは持っていけないので、後は生きて帰ってこられたら覚えていることをまとめて書きます。

2012年6月30日

 この日はいよいよ本格的な調査に出発。朝3時に起床。荷物を車に詰め込んで施設を出発。出発する前に玄関を見回すと、トイレの目の前に不自然に円筒形の物体が落ちていた。ちょうどそばにいた人に「これ、誰かの忘れ物じゃないですか?」と聞いてみたら、ちょっと中身を確認し「雨具みたいだね。でも誰のかわかんないね。仕方ない。自己責任ということで。」とそのまま放置して出発することになった(実は共同研究者のものだったと乗船後に判明)。
 調査隊は総勢10名。車に乗って港に向かい、今回お世話になる漁船に乗り込む。特にクルーザータイプとかそういうことはなく、良くある普通の漁船だった。漁船に荷物をいっぱいに積み込み、夜明け直前の父島二見港を出港した(写真010)。薄明かりに煙る父島の姿はなかなか壮観であったが、眺めていると気持ち悪くなってきたので横になった。早起きで少々寝不足だし、このまま起きていたら今日一日持ちそうにないので寝ることにした。出港してからどれくらい立ったのかはわからないが、雨が降り始めた。普通にぬれた。気温はもちろん夏だが、船が高速で疾走しているので、思い切り寒くなった。そういえば濡れてから強風に吹かれると低体温症で死ぬんだっけ。そういう山の事故があったな、と思い出したが、あまりの眠気にそのままうとうとし続けた。後から考えるとこれは『寝るんじゃない!寝たら死ぬぞ!起きろ!』と言われるシチュエーションだったような気がする。でも、ま、今、生きてるからいいか。
 3時間半ほどの航海で本日の目的地、媒島に到着した。空と海の青さ、草の緑、そしてむき出しの赤土が目に染みる(写真011)。持ち込まれたヤギの影響で植生が崩壊し、むき出しになった赤土がどんどん流れ出している、と聞いていた通りの状況だった。湾内に停泊した船からゴムボートに乗り換え、上陸地点に向かう。船着き場のようなしゃれたものはこの島にはなく、あるのは鉄パイプの足場のみ(写真012)。それが50メートルくらい続いている。大きな工事とかがあるときは、この足場にベニヤ板が装備され、船着き場のようなものになるらしいが、小規模な調査ではそうはいかない。この足場の上を、ちょうど雲梯の上を歩くような感じで島に上陸する。鍛え抜かれた精鋭たちは、その上をなんとクーラーボックスを抱えてひょいひょいと走っていく。とりあえず私も挑戦してみたが、乗ってみたらぐらぐらするし、しかも所々さびていて折れそうだし、海面から結構な高さがあってかなりの恐怖を感じる。そんなに運動音痴ではないので、もし内地であれば挑戦してみるところであるが、何と言ってもここは無人島。『とにかく怪我をするのが一番迷惑をかけることになるから特に注意するように』と何回も言われていたので、初日から万が一にも足を踏み外して怪我をするわけにはいかない。たとえ不格好でもここは安全第一、と両手両足を使って慎重に渡り始めた。これがまたつらかった。お昼休みに野球で遊んでいたりするが、さすがにこんな格好で移動することなどあり得ないので、早速右太ももの上の方の筋肉が張りを訴えた。3分の1を渡ったところで力尽きて休憩していると赤い共同研究者が救助に来てくれた。手を取ってもらってバランスを取りながら、パイプの上を2足歩行で歩いて渡った。踏み外さないようにパイプを見ていなければならないので、先が見えず、この苦行が永遠のものに思われた。
 上陸した後、上陸用の濡れてもいい靴から、山歩き用の靴へ履き替える。さらに飲み物の準備。2リットルは背中のハイドレーション(リュックの中に内蔵した水筒からストローのように長く伸びたパイプからちゅうちゅうと飲み物を吸うシステム)に背負い、残りの2リットルは上陸地点のクーラーボックスに格納する。今日の私の仕事は植生&土壌調査のチーム(ポスドク1名+学生1名のチーム。この学生の修論になるらしい)に同行し、調査風景の写真撮影と書記を務めること、それと荷物運びである。最初聞いた話では、お昼に上陸地点に戻ってくるので、午後の水はその時に補給する、とのことだったが、今日は移動があったのでスタートが遅くなり、さらにお昼ご飯もお弁当で持っていくので、調査終了まで上陸地点には戻らないとのこと。それは今言わないで。半日分の水を運ぶシステムしか装備してないよ。それに加えて既に「足の筋肉に張りを訴えてファーム落ち」状態であり、思い切り不安であったが、まあ、行くしかないよね。水が無くなったら離脱するしかあるまい。
 出発すると早速上陸地点のようにパイプを渡る場所があった。いきなり試練かよ、と突っ込みを入れたがパイプは答えてくれない。意を決して2足で渡ることにしたら、案外すんなりと渡れた。さっきと違って怖くないな。やっぱり海の上と陸上は違うのか?それとも距離の問題か?と思ったが、実は原因は他にあった(たぶん後述する)。
 山を登り始めてちょっと驚いたのが、二人とも地図を持っていないこと。私が学生だったころ、野外調査に地図は必要不可欠なものであり(時には地元の営林署に特別にお願いして5000分の1の詳細な地図をいただいたりした)、まず地図を見て位置を確認するのがイロハのイだ、と教わったのだが、、、と不思議に思ったが、疑問はすぐに氷解。二人ともGPSの端末を持っており、それを頼りに行動していた。調査地までの道順も、調査地点も全て端末に記録されているらしい。ま、20年も経つとそんなものか。私が仮想世界に引きこもっている間に世の中変わってしまっていたらしい。まさに浦島太郎。
 この日は望外の薄曇り。死ぬほど暑いと脅されていたのでびびりまくっていたが、この天気は初心者にはありがたい。山を登り切るまでは、むき出しの岩盤と赤い土ばかりだった(写真013)。土壌が流出しきって岩盤がむき出しになったらしい。そのため、植生が定着できなくなっているので、土壌流出防止のための緑色のビニールのネットが鉄の杭で固定されていたが、そのネットは多くが既に劣化し、破れてしまっていた。焼け石に水のような気もするが、この事業をやるだけでもかなり土壌流出が抑えられたらしい。
 斜面を登り切って尾根に出ると草原に変わる。そこにはカツオドリという海鳥が営巣していた(写真014)。ちょうど今は卵を温めている時期らしい。5メートルくらいに近づくとちょっと鳴いて警告を出してくるのでそれ以上は近づかないように気をつけた。
 この日の調査地は切り立った崖沿いが多かった(写真015)。崖を上から眺めるとさすがにちょっと怖い。カツオドリの営巣地を狙って、巣からの距離と土の性質や植生の関係を調べるのが目的らしい。事前にランダムに決めた場所で、1平方メートルの範囲内で最大の草の種類と高さを記録(被覆率は後で写真から計算するらしい)。そしてその部分の土壌を採取する。調査中は特に何も考えずに黙々と書記を務めた。
 移動中や書記の待ち時間の間、景色を眺めていた。壮大だな、という感想と、ちっぽけだな、という感想が入り交じる不思議な感覚だった。地形の影響のため、島の最高峰から直接海に垂直に落ちていく切り立った崖を見るとその壮大さに心を打たれる(写真016)。しかし、見渡すと大海の中にぽつんと浮かぶ小島であることが手に取るようにわかり、ちっぽけだなと思ってしまう。
 しかし、この島の地質を見ると、(地質学から逃げ出して十数年のこの私でも)この島が生まれる時の激しさが手に取るように伝わってくる。どっかのサイトかなんかの資料だったか覚えてないが、小笠原諸島は火山島ではないという記述を見て(たぶん、海底火山がそのまま海面に顔を出しているような、典型的な火山島ではない、という意味だったと思う)、この位置にあってなんで火山島じゃないんだ!と小笠原に来る前は不思議に思っていたが(火山前線よりも海溝側にあるんだから現在は火山活動はしていない、というのをスカッと忘れていたあたり、落ちこぼれの証明である)、実際に来てみると、いわゆる典型的な火山島でないことがよくわかった。そもそも島がぺったんこだし、島を構成しているのは、火山性の堆積物。それが整然と層をなしている。山頂部にはごく小さな化石?(写真017)を含む細粒砂岩層もあったしね。ただ、枕状溶岩もあるし(写真018)、メートル単位のでっかい溶岩の固まりも火山灰層中にうまっていたりするし、吹き出した硫黄みたいな真っ黄色の物質(写真019)が堆積物中にべっとりと張り付いている層もあるし、すぐ近くに火山があったことは間違いないと思う(特に父島に関しては、かつての海底火山の西側半分が隆起して島になっていると解釈した方がいいそうだ。)。とりあえず熱く語り出すとただでさえ冗長なのが輪をかけて冗長になるし、そもそも門から出て行った元小僧がうんちくたれるべきではないので、とりあえず後回し。(詳しいことは、金沢大学の海野先生の解説文をご覧ください。「小笠原 地質」で検索をかけるとすぐに見つかります。)
 草むらを歩いているとバッタがぽんぽん飛ぶ。座り込むとクモがもぞもぞ動くのが見える(写真020)。1センチくらいの小さいガもふわふわ飛んでいた。草食動物のバイオマスはぼちぼちあり、捕食性の動物をそれなりに維持することができるようだ。
 しかし、このような草原に必ずいるカマキリはもちろんいない。それから、本土で藪漕ぎをすると無事では済まないが(蜘蛛の巣が体に絡みついたり、変な虫がぶんぶん飛び立って顔に飛びついてきたり、正体不明の謎の生き物に刺されてかゆくなったりする)、小笠原では全くそのようなことはなかった。生物相の層の厚さというものはかなり薄いようだ。これが島の本当の姿なのか、それとも破壊された後の姿なのか、現時点では不明。ただ、数が少ないのではなく、全くいない、というのはさすがに異常だと思う。
 もう一つ気になったのはネズミの存在。島のあちこちでネズミの糞を見かけた。聞けばこの島ではまだネズミの駆除は行われていないようで、その影響は確実にあるだろう。
 途中で昼飯のおにぎりを食べた後、午後も同様の作業を継続し、この日の調査は滞りなく終了。鳥の営巣の効果を見るのが目的らしいが、本日サンプリングした場所が鳥の巣にあまりヒットしなかったのが誤算か?とりあえず予定通り午後2時半に上陸地点に到着。このとき、自分の飲み水はほぼ底をついていた。この日は薄曇りで涼しかった上、これから聟島に移動するので、終了時間は少し早めに設定されていた。もし通常通りだったらと思うとぞっとする。
 媒島で夜間調査を行う鳥班の2名を残し、8名は聟島に向かう。媒島から聟島までは漁船で30分の距離。思い切り疲れていたので眠りに落ちてしまった。気がついたら船は聟島の上陸地点に到着していた。翌日から聟島の調査を行う5名は聟島で野営するので、明るい内に準備を行う。植物班の2名と私は船上で寝るのでこの間はやる事無し。ということでお風呂タイム。ここでのお風呂はやたら大きく、塩水で、魚が泳いでいるという特徴がある。少々冷たいのと足がつかないのが難点か。ちなみに石けん系のものは使えない。元気なポスドクさんは泳いで遠くの海岸まで行ってしまった。私もそのお風呂に入ったが、足ひれの操作とシュノーケルの操作でパニクってしまい、マジでおぼれそうになったので、とりあえず足ひれを放り投げる。やっぱり自分の足で泳ぐのがいいよね。遅々として進まないけど。しかし寒くなってきたので早々に退散。船の淡水シャワーで塩水だけ流してお風呂は終了。
 キャンプ組も合流し、船上で夕飯。この日はカレーと刺身、枝豆、空豆と若干のつまみ(写真021)。7時に夕食終了後、やることがないので、そのまま寝ることにする。幼児も真っ青の就寝時間だったが、船の揺れとあまりの疲労でそのまま眠りに落ちた。周りに明かりのない無人島なので、満点の星空を期待していたが、この日は曇りなのでお預け。

2012年7月1日

 この日はとても寝苦しかった。途中で何度も目が覚めた。何度もいやな夢を見た。大雨が降って、すごい風を伴う嵐が来て、大津波が来た後に最後は幽霊が出てきた。どんだけ脅えとんねん。まあ、少なくとも安眠できるようなところではないので、ある程度は致し方ないか。
 この日は朝5時起床。5時半にキャンプ組が合流し朝食。この日の朝食はご飯と納豆と味噌汁とちょっとしたお漬け物。6時に朝食が終了し、聟島組の5人を浜に戻し、植物班2名と私は媒島に向かう。船の上は狭いので自由がきかない。私の準備ができないうちに船は媒島に向かって出発。揺れる船の上で準備をする羽目になった。飲み物を作るのにえらい難儀したし、下を向いているので揺れがこたえた。
 7時に媒島に到着。再びパイプを渡って上陸。四つ足でとろとろ動いていたら、鳥班の赤い共同研究者(いつも赤いお召し物が印象に残っているが、この日の衣装はオレンジ)が「白馬の王子様ですよ」といいながら助けに来てくれた。救助対象が40過ぎのオヤジで大変申し訳ない。
 今日の私は鳥班に合流する。基本的には書記、そして作業補助をすることになるらしい。植物班の2名は7時半に出発。媒島でキャンプしていた鳥班の2名はまだ朝食を取っていないので、船から運んだおにぎりを食べる。赤い共同研究者は梅干しが大嫌いだそうで、梅干しおにぎりを苦しみ抜きながら、そして梅干しに対する恨み辛みを垂れ流しながら食べていた。鳥班のもう一人は赤い共同研究者の学生。初日で既に生気が抜けていた。まあ、夜の調査もやっていたらしいから当然か。
 8時になって鳥班も出発。鳥班なので鳥の営巣地へ向かう。上陸地点から山を登って延々と歩く。上陸地点とはほぼ島の反対側に到達した(写真022)。思えば遠く来たもんだ。そこで終わりではなく、さらに急斜面を下に降りていく。この斜面をスキーで降りるとしたら、かなりの恐怖感だろうな、と思いながら、私もおっかなびっくりついていった。
 鳥班の調査の目的は、鳥の踏み荒らしが植生に与える影響。50×80センチくらいのプラスチックのざるをかぶせて鳥が入れないようにし、鳥が普通に入れる対象地と植生を比較する(写真023)。ざるは、営巣地の中心部から15メートル間隔で5、6個配列されている。ざるをかぶせた場所と対象地で、まずは写真を撮り、植物の高さを5カ所ずつ計り、さらにその場所で出現する植物すべてについて、最高値を記録する。その後土壌硬度を5カ所ずつ測り、草を刈り取り、後で地上部バイオマスの測定をする。なかなか細やかな調査だと思った。書記を主に私が務めたが、データシートの配列が謎で、記入する場所を探し当てるのに少々苦しんだ。AO山さん、今度はせめてライン順か、番号順に並べてください。切にお願い申し上げます。
 ざるがあっさりと見つかれば問題は無いのだが、場所によっては胸くらいの高さの草で覆われている場所もあり、そういうところから見つけ出すのは困難を極めた。もちろん場所はGPSに記録されているが、数メートルの誤差があるようだ。便利な機械だがまだまだ万能ではないようだ。こういう時は、この木がこんな風に見える位置に置いた、とかそういう記憶が頼りなのだが、そういうのもなかった。まあ、100個近くもプロットがあればいちいち覚えていないのも当然か。なるべく根性で見つけ出したが、いくつかはロストした。仕方がないので後々プレゼンで使用するための、見つかりませんでしたポーズの写真を撮った。
 お昼ご飯は11時ということであったが、中途半端にしてしまうと、またこの調査地まで来なければならないので、おやつをちょっと食べてしのぎ、この場所の調査をやり終えることにした。結果的にはこれが功を奏す。実は昼食の準備が間に合っておらず、時間ぴったりに上陸地点に戻った植物班は昼食を食べ損ね、ご飯を待つのも時間の無駄なので、そのまま午後の調査に戻ったらしい。食事抜きとは、想像するだけで気が遠くなる。鳥班が調査をやり終えて上陸地点に帰ったときは午後1時。そしておいてあった昼食を食べる。この日の昼食は中華丼。ありがたく、おいしくいただいた
 1時半に食べ終えて、午後の調査に向かう。今度は午前中とは反対側の尾根に向かう。途中で赤土がむき出しの斜面を登る(写真024)。これは結構怖かった。にもかかわらず、赤い共同研究者はすいすいと上っていく。滑るかもとかそういうことはあまり考えていないのだろうか?さすがに経験豊富な、鍛え抜かれた猛者は違うな、と舌を巻いた。
 この日は朝から断続的に雨が降っていて、雨合羽が活躍することになった。雨合羽を着ると暑いので、雨がやむと脱ぐ。そうするとまた雨が降ってくる。という繰り返しなので、最後は疲れて雨を無視することにした。山頂部は風が強いので、濡れた状態で風に吹かれるとえらく体力を消耗する。もう一つ問題だったのが、データシートが耐水紙ではなく、普通の紙だったこと。濡れた状態で風に吹かれ、今にも破れそうだった。これが飛んでいてしまうとこれまでの調査が無駄になるので、破損しないように必死だった。午後の調査の最後は土砂降りの雨になってきてもうだめかと思ったが、何とか紙は最後まで持ってくれた。
 帰りは濡れた状態のあの坂道を帰らなければならない。結構な恐怖感だったが、おっかなびっくり降りきった。パイプの上にベニヤ板を渡した橋が最後の難関。靴に赤土がこびりついているので、つるつる滑る。しかも結構な坂道になっている。前の二人はそれを利用し、その上を滑って渡った(写真025)。私も滑れと言われたが、腰が引けた。高校の同級生が同じことをやって谷に落ち、足を複雑骨折しているので。。。内地だったらやるかも知れないが、無人島で骨折なんてことになったら、どれだけ迷惑か。ということで、遠回りして安全なルートを渡った。おもしろくない!とブーイングだったが、まあ勘弁してください。
 予定通り3時半に上陸地点に到着。すぐにボートが迎えに来てくれた。例のパイプを渡り、本船に乗った瞬間、変な気分になった。あれ、いつもと違う。揺れが気持ち悪い。おそらくは疲れのせいだろう。これはまずい、ということで大急ぎで酔い止めを飲んだが、どうやら間に合わなかったようだ。聟島に着いた瞬間、そういうことになった。ブツは魚が処理してくれた。ということで、でっかいお風呂には入らず、タオルで体を拭いただけで終了。晩飯はせっかくの生姜焼きにもかかわらずあまりのどを通らず、飯の間もテンション低めで、夕食終了とともに早々に就寝。

2012年7月2日

 この日もとても寝苦しかった。途中で雨が降ってきて寒さに拍車をかけた。甲板の上にターフが張ってあり、一応雨よけにはなっているが、はみ出した足が濡れた。でも起きるのも面倒なので、そのまま眠り続けた。体力も尽きていたし、内地だったら一発で高熱を出しているところだろうが、そこは離島。ウィルスがないから風邪を引かない、という都市伝説は本当だった。
 しかし当然のごとく、朝もエンジンは切れたまま。せっかくの炊込み御飯にもかかわらず、朝ご飯もあまりのどを通らず。優しい人が「大丈夫ですか?」と聞いてきてくれたので、「死にたい。。。」と答えておいた。
 聟島組をおろした後で我々は再び媒島に出発する。準備ができたら出発します、と船長からアナウンスがあった。慣れている植物班の二人はすぐに「できました」と答えていたが、残念ながら私はまだ全然。というかスペースがないので、3人いっぺんに準備できないしね。かといって遠慮して『走りながらやります』とかいうと、今日は本当に死にそうな気がしたので、「すいません。まだです。」と答え、とにかく準備を全て終えた。
 7時に聟島を出発(写真026)。それとともに横になる。既に体を起こしていられる状態ではなかった。媒島に到着した後、例のパイプを息も絶え絶えに渡る。今日も白馬の王子様が助けに来てくれた。毎度毎度申し訳ない。今度生まれ変わるときはあなたの大好きな絶世の美女になってみせるぜ。
 上陸した後も、エンジンは切れたまま。媒島で夜間調査をしていた鳥班が朝食を食べている間、遠くを見ていた。植物班のポスドクさんが「大丈夫ですよね?エンジン、かかりますよね」と聞いてくれた。「たぶん」と短く答えておいた。この状況では何も保証はできない。
 しかしここでこのまま待っていられる状況でもない。8時に鳥班とともに出発。今日は昨日とは違う尾根に向かう。途中でロッククライミングをする場所があった(写真027)。トレッキングとかいうレベルではない気がするんだが、赤い共同研究者はすいすいと上っていく。このタイプの地層は、足場に見える飛び出した礫が時々ぽろっと外れることがあるので、そうやってひょいひょい登るのは危険だと思うのだが、結局彼は何事もなく登り切った。鍛え抜かれた猛者には、外れる石とそうでない石を見分ける能力が備わっているらしい。フィールドで鍛え抜くとはこういうものなのか。恐るべし。
 この日も作業は昨日と同じ。草むらの中から例のざるを見つけ出し、昨日と同様の作業を行う。この調査はカツオドリに結構迷惑をかける。我々が近づくと卵を温めている親鳥は警告音を発した後、巣から逃げだす。そして作業をしている間巣に戻りたそうに上空を旋回し続け(写真028)、我々が次の場所に移動すると巣に帰り、再び卵を温め始める。親鳥がそのまま営巣を放棄してしまわないか、気が気でなかったが、とりあえずそういうことはなさそうだった。
 何とかついて行っていたが、10時についに力尽きた。船酔いで十分に飯を食ってなくて、おなかがすいて動けなくなったから、何か食う間ちょっと休憩させてくれ、と訴えると「そんなときはこれだ!」と赤い共同研究者がリュックから蒸しパンを出してくれた。自分も携帯食は持っていたが、ありがたく頂戴することにした。そして私は蒸しパンのパワーを思い知ることになる。みるみるうちに血糖値が上がるだけでなく、なんとアドレナリンまで分泌し始めたではないか!あれだけ死にそうだった自分が見事に生き返った。桃太郎に出てくる黍団子はきっと蒸しパンだったに違いない。ということで、ここほれワンワンと働く。昨日と同じく、昼飯予定の時間を超過してめいっぱい働き、ちょうど良い区切りをつけてから昼食に向かう。この日の昼食は牛丼。どんぶりいっぱい食べた後、午後1時半から後半の調査に向かう。今度は崖を登らなくていいのがうれしい(写真029)。予定地はちょっと多めに残っていたが、この日で媒島を後にするので、気合いで全ての調査を終えた。
 この日で、鳥班は媒島を離れることになる。そういえばこのパイプを渡るのもこれが最後か。そう思うとなかなか感慨深い(写真030)。そこでふと思った。上陸後のパイプは結構すいすい渡れるのに、海の上のパイプを渡るときは安定しないのはなぜか。そういえば海の上のパイプの時には、足の裏が痛い気がする。そういえば、海の上を渡るときは、濡れてもいいように、と鮎タビを履いて渡っていた。鮎タビは底がフェルトになっていてぬるぬるした場所でも滑りにくくなっているが、それと引き替えに靴底が柔らかくなっている。もしかしたら、これが不安定要因なのかもしれない。ということで、普通の靴を履いて、少しパイプの上を歩いてみた。あ、思った通りだ。いけそうな気がする。ということで、自分の荷物だけを背負って挑戦。当然おっかなびっくりであったが、思ったよりもすいすいとわたれた。そうか、原因は靴だったのか。もう私にはこのパイプを恐れる理由はない。もし次の機会があれば、白馬の王子様による救助は必要ないだろう。でも、さすがにクーラーボックス運びは勘弁してね。
 何となくすっきりした気分で聟島に向かう。大きな塩辛いお風呂に入れるのも今日が最後なので、疲れをおして入ることにした。たくさんの魚が迎えてくれてなかなか眺めが良かった(写真031)。底の方を1メートルくらいのサメが泳いでいた(写真032)。人食いではなさそうだが、さすがにちょっと緊張した。そうすると近くを大きなエイが泳いできた(写真033)。横幅は自分の身長くらいあるだろうか、ダイビングで人気のマンタではないが、良い記念になった、と思っていたらエイがこちらの方に近づいてくる!まあ、落ち着け。間違ってもエイは人食いではない。あ、そういえばエイにはとげがあって刺されると痛いんだった。毒があるのはアカエイか。でも小笠原のエイはどうだったっけ?万が一に備えてとりあえず逃げた。エイは私の数十センチ横をすり抜け、外洋の方に向かっていった。これは一生忘れられない思い出だよね。
 この日の晩ご飯はざるうどんと刺身。蒸しパンで復活していた私は普通に食べた。最後だったのでみなと一緒にビールも飲んだ(写真034)。食後、いつものように午後7時に就寝。しかしこの日はなぜかなかなか寝付けなかった。それならばと満天の星空を期待したが、あいにくとほぼ満月で、ほぼ都会レベル。うーむ。10歳の時に秋吉台で見たあの星空をもう一度、と密かに期待していたが、ついに見られないようだ。3時間くらいごろごろしていただろうか。みんな寝静まって迷惑をかけるかも知れないが、我慢しきれなくなってトイレに行った。用を足すと不意に便器の中の水が青白い光を放った。一瞬びっくりしたが、あぁ、海蛍か(後に、ここにいるのは確か夜光虫ではないか?という指摘有り)。こんなとこで御目にかかるとは。とりあえず小便かけて悪かった。早く海に帰ってくれ、と水を流すと、今度はパイプの中で光が放たれ、そのまま流れていった(トイレの水洗は海水をそのまま流しているらしい)。ちょっといいものを見ていい気分になった。そのせいか、そのまま横になったらすんなりと眠りにつけた。

2012年7月3日

 この日はいつもより遅く、7時半から朝食。媒島に向かう植物班の作業がほとんど残っていないことと、聟島キャンプ組の撤収作業のためらしい。いつもより朝寝坊できたのはちょっと楽だった。朝食を済ませてついに聟島に初上陸。例のパイプはあったが、この島はボートを砂浜につけることができる。違う島に移動するときは自分が生物の運び屋にならないように気をつけなければ。普段調査など行かないので、作業着、軍手、革手袋はまるきり新品だが、靴は一足しかないので、船のシャワーで洗い、さらに靴底を塩水につけた。リュックについている植物片を全て手作業で撤去した。
 昨日、聟鳥島という島で夜間調査をやっていた鳥班が朝食を取っている間、海岸周辺を散歩した。基本的な地質構造は媒島と同じ。火山灰の中に様々な大きさの玄武岩の礫が入っている地層で構成されていた(写真035)。ただ、遠くの方に、ちょっと変わった地層があった。細長い楕円形になった。(たぶん)安山岩が整然と積み重なっていた(写真036)。堆積物の中に落ちてから伸びたのか?それとも枕状溶岩のようなものか?正直自信はないが、もしそうならマグマの噴出口がかなり近くにあったことになる。
 この日も私は鳥班として行動する。そして今日はもう一人屈強なM1の青年が補助に加わった。4人でクロアシアホウドリが営巣していた場所(今はシーズンオフで鳥はいない)に向かう。その途中で、昨日よりもさらに輪をかけた激しい崖を上り下りした。もし一人だったらその先へは進まないだろう、と思うくらいの険しい崖だった。しかし、私以外の3人は結構すいすいと行ってしまう。崖の真ん中も平気ですいすいと歩いて行く(写真037)。いや、だからそのタイプの地層は足場に見える飛び出した礫が・・・(以下同文)。私は怖いので岩盤の端っこの草のところを回って移動した(草が生えるところは土がたまるところなので、靴幅くらいの平面があることが多い)。
 もう一つ気になったのが、媒島と聟島の植生の違い。媒島では植物の種子が体につくことはほとんど無かったが、聟島では付きまくる(写真038)。ズボンの膝から下は、細長い種がびっしり付いて変な模様になっていたし、オナモミの系の、堅いとげが付いた実が結構付いて大変困った。特に軍手はすぐに使い物にならなくなった。しかも軍手を突き抜けるとげの痛いこと痛いこと。ということで、すぐに革手袋に換装。何だ、この植生の違いは。いったいおまえら何にくっついて分布を広げるつもりだ?これは帰ってから勉強の必要があるな。
 この日の作業もこれまでと同じ。鳥班専従の二人がざるの探索と計測を行い、補助の二人が草刈りと袋詰めを行うことになる。さすがに4人で行うと作業が早い。結構量が残っていたが、すいすいと作業が進んだ。この日は時間がないので、上陸地点に補給に戻ることはなく、調査地で携帯食を食べ、そのまま作業続行し、予定の作業を全てやり終えた。
 後はサンプルとざるの運搬であるが、サンプルは赤い共同研究者が、ざるは屈強な若者が背負い、あの急な崖を上り下りし、上陸地点にたどり着いた。屈強な若者よ、君に丁稚1号の称号を授けよう。私は2号に降格します。
 さて、ついに調査は全日程を終了した。当初は永遠にも思われた3泊4日の日程も、振り返ればあっという間か。東京から1000キロ離れた小笠原諸島。その中でも船をチャーターするしかたどり着く手段のない無人島。野外調査が本業ではない私がこの島を訪れる機会は今後ない可能性が高い。そう思うと結構感慨深い(写真039、040、041)。
 午後3時に撤収作業を終了し、一路、父島に向かう。遠のく聟島列島を眺めていたかったが、船酔いするのであきらめ、寝ることにする。漁船は海の上を飛び跳ねることがあるので、さすがに熟睡はできなかったが、うつらうつらするだけで十分。3時間半後の午後6時半、父島二見港に到着。とりあえず私は生き抜いた。それだけで十分だ。
 最後にこの調査の結論を。

私が作ったモデルは間違ってはいない。
しかし、現世に実体化させるためには、まだ二つほど欠けている要素がある。
(土壌流出と、侵入生物に対する在来生物の適応)
そして、人の目の前のスケールで起こる現象を再現できるほど、細やかなものではない。
約束の地はまだ先にある。

今後さらに精進いたします。

最後に今回の調査でお世話になった加藤先生(首都大)、川上さん(森林総研)、畑さん(首都大)始め、調査隊の皆様に心から御礼申し上げます。

生態学的に印象に残ったこと

 まずは媒島から。
 侵入木本として有名なギンネムさんは最初の上陸地点を中心に猛威をふるっている(写真042)。上陸地点から離れたところには、ギンネムはほとんど見られなかった。ギンネムが持ち込まれるのは上陸地点だから、その部分から分布を広げているので当然と言えば当然だが、離れたところで見られないのは、調査に入った人がギンネムの実生を抜いているという効果もあるそうだ。ちなみに、ギンネムには虫に食われた痕跡は全くと言っていいほど無かった。媒島の植食性動物は、まだギンネムを食うようには進化していないらしい。反対に、小笠原土着のモモタマナという木は、若芽を中心に、結構摂食されていた(写真043)。葉っぱの半分くらいが無くなる位の摂食圧だった。後で聞いたら、時には丸はげにされるくらい食われることがあるらしい。やはり、在来種に対する摂食圧の方が強いようだ。今のところこの仮定はモデルに導入していないが、見てしまった以上、何とかしなければならないだろう。摂食圧の定量データがないので、ちょっと扱いに困るのが正直なところ。とりあえず、「自分が現地で観察したらほとんど食われていなかったので、そういう仮定も導入したシミュレーションも行ってみた」ということで、両者の結果を並べて表示すると良いかも。
 植食性昆虫は結構いた。草むらを歩くと、バッタが結構ぶんぶん飛ぶ(写真044)。羽の大きさが1センチくらいの小さいガも結構いたので、それらの幼虫による食害もそれなりのものなのだろう。自分のモデルでは、植食性昆虫がモデルの挙動に支配的な影響を及ぼす結果になっていたが、これくらいいればそういう効果も期待できる。捕食性の動物としてはクモがたくさんいた。種類も10種くらいはいそうだった。見た感じ、捕食性の動物をそこそこ維持できるくらいの草食性動物のバイオマスがあるようだ。そういう意味では自分のモデルは今のところ良い線行っているようだ。
 しかし本土とは決定的に違う状況にあることもはっきりわかった。もし、本土で同様の草原(腰くらいの高さの草原)を藪漕ぎすれば、無事では済まない。目の前を名も知らぬ飛翔昆虫がわらわらと飛び回るし、蜘蛛の巣や変な虫が体にたくさん張り付くし、時にはどんな寄生生物を引っかけたのか、体に妙なかゆみを覚えてしまったりする。しかしそういうことは全くなかった。草原に生きる生物の分類群の数も少ないし、生物量も少なかった。これが島本来の姿なのか、それとも侵入生物の影響(人間の影響も含めて)で壊れてしまった後の姿なのか、現時点では判別できない。島のあちこちで大きなネズミの糞を見かけた。ネズミはまだ媒島では駆除を行っていないらしいので、ネズミはまだ高密度で維持されていると思われる。無脊椎動物の多様性、生物量の低さの一因は、たぶんネズミにあるだろう。しかし、数が少ないとか、多様性が極端に低い、というのではなく、全くいない、というのはちょっと異常だ。モデルでは慎重に扱う必要があるかも知れない。
 鳥の営巣場所についてだが、単純なものではなさそうだ。現在のモデルでは森林性、草原性の二つに分けて、例えば草原ならどこでも営巣できる、としているが、実際にはそんなことはない。例えば草原営巣性のカツオドリについて特に今回はよく観察できたが、カツオドリは草原の中でも、尾根の端、崖沿い、急斜面の中の台状になっている部分に営巣していた(巣を維持するための平面があるが、すぐ飛び立てるように斜面が必要)。平面に近い草原には、全く営巣していなかった。また、あまりにも草丈が高くなるような種類は避けていた(これは聟島でも共通)。これをモデルに導入するのはなかなか難しい。細やかな空間構造だけでなく、草の種類も導入しなければならない。
 次に聟島について。
 媒島と聟島の植生はよく似ている、とのことであったが、実際に現地に行ってみると、結構違いが目についた。
 特に興味深かったのが昆虫相。聟島で草のサンプリングをしていると、ある草の先端の新芽がちょっと気になった。なんか動いたような気がしたのだ。そこでよく見てみたが、表面に何の構造物も見えないし、色といい、形といい、どう見てもその草の新芽にしか見えない。気のせいか、と思ってちょっと触るとやっぱり動いた。正体は不明だったが、何かの幼虫らしい。それにしても見事な擬態であった。これだけ見事な擬態は博物館の展示レベルだと思う。もしあれが在来種であれば、かつての生物相はさぞかし激しい捕食圧にさらされていたのだろう。現在の動物相(捕食動物と言えば、クモくらい)から考えると、いったい何に対してそんなに警戒しているのか、と不思議に思うが、川上さんに聞いたところ、聟島には昔ヒヨドリがいて、それが昆虫に対する結構強力な捕食者として君臨していたそうだ。また、聟島では捕食性のハチを1匹だけ見つけた。緑色の何かの幼虫を運んでいた。もしかしたら、前述のヒヨドリだけでなく、このような捕食動物がかつては結構いたのかもしれない。もしかしたら、聟島は海洋島には珍しく、多くの捕食者が存続できるような、特殊な生態系だったのかもしれない。
 聟島ではネズミの駆除は終わったらしい。ネズミの駆除は一般に大変難しいが、海鳥の遺骸が荒らされていなかったことから考えると、駆除は成功したのではないかと思われる。
 聟島の現在の植生は、媒島とは結構違っていた。聟島ではギンネムはそれほど見あたらなかった。しかし、聟島では外来草本(広域分布種?)が猛威をふるっていた。特に、オレンジ色の小さな花をたくさん咲かせる、しそによく似た葉を持つ侵入草本植物が分布を大きく広げていた(写真045)。また、例えば媒島では、藪漕ぎをしても服に植物の種子がつくことはほとんどなかったが、聟島ではとにかく付きまくった。海鳥以外の大型動物がいないこの島で、いったい何を期待してそんな種をつけているんだ、と突っ込みたくなるくらいだった。しかし、これらはシンクリノイガ(刺さると痛いとげとげの種の方)オキナワミチシバ(繊維に食い込む細長い小さい種の方)という侵入草本らしい。後で聞いたら、聟島には父島からツアーが出ているらしく(父島の定食屋さんで相席になった人から聞いた)、年間かなり多くの一般の観光客が上陸しているらしい。衣服に付着するタイプの侵入草本が多いのはそのせいなのだろうか?もしそうならば、いろいろ考えなければならないことが多そう。媒島から帰ってくるときに、とにかく念入りに衣服や持ちものに付着した種子を取り除いたが、そういう作業ももはや無駄なのかもしれない。私は見つけられなかったが、既にカマキリなども聟島に定着しているらしい。
 現在のモデルのパラメータ(先行研究の植生分布を再現できるようなパラメータ)だと、ヤギだけを駆除し、ネズミを残すと森林へ遷移することになっている。実際に、北硫黄島はネズミはいるが、ほぼ森林で覆われている。ということは、同様にヤギが駆除されてネズミが残されている媒島も森林面積が増えても良さそうだが、先行研究の調査だと減少していることになっている。この先行研究では、低木林を森林にカウントできていない、という問題があるらしいが、森林が思ったほど増えないのは、裸地化し、赤土がむき出しになった部分の浸食が激しく、実生の定着が難しい、ということが主因らしい。これは現在モデルに含まれていないので、できれば早めに導入する必要があるだろう。

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​写真001: 旧おがさわら丸。人だけでなく、荷物も運ぶ。

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​写真002: 旧おがさわら丸の特二等船室。

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​写真003: レインボーブリッジをくぐる。

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​写真004: 聟島列島。左から聟島、針の岩、媒島。

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​写真005: 父島。二見湾内から二見港(右)、青灯台(中央)、大村海岸(左)を望む。

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​写真006: 父島、大村海岸。右下にウミガメの這い跡。

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​写真007: 父島。大神山遊歩道から二見港を望む。

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​写真008: ギンネム(侵入種)。

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​写真009: タコノキ(在来種)。

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​写真010: 夜明け前の父島。

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​写真011: 媒島。停泊中の船上から上陸地点を望む。

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​写真012: 媒島。上陸地点のパイプの足場。

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​写真013: 媒島。表土流出防止のネット。風雨にさらされて破れている。錆びた留め金が突き刺さりそうで怖い。

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​写真014: 抱卵中のカツオドリ。くちばしの根元が白いのはメス。

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​写真015: 崖沿いの調査地

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​写真016: 媒島から針の岩、聟島を望む。

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写真017: 石灰質に見える堆積物の中の丸くて中が空洞になっているものが生物の遺骸に見えたが。。。

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写真018: 上陸地点裏の枕状溶岩の露頭。

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写真019: 真っ黄色の堆積物の露頭。

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写真020: クモ。

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写真021: 夕食風景。漁船の甲板で車座になってみんなで食べる漁師飯。

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写真022: 媒島北端付近。

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写真023: 左の黒枠はざるの枠組みだけとったもの。右はざるを固定するピック。

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写真024: 上陸地点から西方の坂を登る。

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写真025: 見事な滑走。

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写真026: 聟島から媒島へ向かう途中に針の岩の近くを通る。

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写真027: 鍛え抜かれた猛者はこの中から外れる岩とそうでない岩を見分けることができる。私には無理。

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写真028: 上空を旋回するカツオドリの群れ。

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写真029: 上陸地点から谷筋を東へ。

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写真030: 撤収。パイプを渡るのもこれが最後。

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写真031: 魚が乱舞している。

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写真032: なんかサメがいる。大丈夫だよね?

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写真033: 巨大なエイ。間近をすり抜けていった。

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写真034: 聟島の湾内の夕暮れ。

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写真035: 聟島の地層。火山灰の中に発砲した火山岩の角礫が入っている。

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写真036: 聟島の露頭。柔らかい状態でペタペタ投げて積み重ねたらこんな感じになる?

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写真037: 急な崖をものともせずにすいすい登っている猛者たち。

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写真038: 草むらを歩くと種がいっぱいくっつく。

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写真039: 聟島上陸地点。

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写真040: 聟島鳥島。

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写真041: 聟島の草原から媒島を望む。

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写真042: 媒島上陸地点付近。写真中央部にギンネムが生え始めている。

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写真043: モモタマナの食害痕。

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写真044: 媒島で見つけたバッタ。

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写真045: 外来?雑草。場所によっては背が高くなる。結構チクチクして痛い。

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