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ラオス調査同行記

2012年7月22日

 今年から拘束されているメコン川のプロジェクトの一環で、今度はラオスに拉致されることになった。外務省のHPで情報をチェックするとタイと同じようなことが書いてあった。唯一違ったのは強盗が銃器を持っていることくらいか。ま、いいか。気にしても仕方がないし。前回はびびりまくっていろいろ心配したが、今回はなんか気が抜けていた。小笠原から帰ってきて間が無くて気合いが入っていないのもあるし、研究所の一般公開の翌日に出発ということもあってあまりラオスのことを心配する時間がなかったということもあるだろう。昔帝国海軍が、真珠湾を攻撃するときには電波通信は一切禁止とか、偵察機を何重にも飛ばすなど万全の警戒態勢を取っていたのに、ミッドウェーの時は電波通信して位置がばれるわ、偵察機はちょっとしか飛ばさなくて米空母ヨークタウンの発見が遅れ、結局その空母から発信した攻撃機にぼこぼこにされるわ、と謎の気合い抜けを見せたのだが、もしかしたら「前は大丈夫だったから」という感じでゆるんでいたのかもしれない。で、あのときは結局壊滅的な被害を受けた。私もそうならないように、日本と同じ気分にだけはならないように気をつけよう、と思った。
 出発は明日だが、今回は同僚の車に乗せてもらえなかったので、前日にバスで成田に向かい、東横イン成田空港に前泊。古いホテルを買い取ってそのまま使用している感じで、設備は基本的に古い。しかし、シングルという位置づけだったが、部屋は止まるのが申し訳ないくらい広かった。一番困ったのが夕食。ホテルでパスタ、カレーなど軽食が食べられるが、日本を離れる前の最後のディナーとするのは質、量ともに全く物足りない。ということで自販機のカップ麺を追加した。食事はチェックイン前に済ませておくべきだと反省。アイスを食いたくなったが、当然入手は不可能。こういう嗜好品も事前に持ち込んだ方が良いだろう。アイスは溶けるだろうけど。また、外国人向けなのか、湯船は無いに等しい。あの浅さでは、湯につかるのは不可能だ。ウォシュレットも無い。また、シャワーが大変珍しいシステム。蛇口が見あたらないし、ボタンもない。目の前にあるのは、温度調節と思われるダイヤルだけ。どうやってお湯を出すのか、真剣に悩んだが、そのダイヤルをひねったら、お湯が勢いよく出てきた。ダイヤル一つで好みの温度のお湯がすぐに出てくるので、一般のホテルにあるような、お湯と水の蛇口を別々に操作して混合する、というシステムよりも便利に感じた。最後に、野菜ジュースが飲みたくなって、自販機で“野菜ジュース”を買い、部屋に帰って飲んだら牛乳だった。気づくのが遅れて口をつけてしまったので苦情も言えず、ちょっと悲しかった。

2012年7月23日

 6時半に起床。すぐにホテルで朝食を食べる。8時にシャトルバスで成田空港第1ターミナルに向かう。成田で皆と合流する。まずは両替。情報を調べたら、ビエンチャンではバーツが使えるらしいし、米ドルが普通に流通しているらしい。一応現地通貨のキップがあると便利らしい。前回のバーツの残りがあったので、とりあえず1万円だけ米ドルに両替する。足りるかな、と少々心配にはなったが、前回は最後にお土産を買って、合計2万円分しか使わなかったから、ま、何とかなるだろう(1ドル札への両替を勧めてくれた窓口のお姉様、おかげさまで大変助かりました。そうしなかったら現地で飢え死にしていました。)。
 今回はVIETNUM AIRLINE(写真001)でハノイに向かい、そこで乗り換えてビエンチャンに向かう。ハノイへ向かう飛行機の中で昼食を取る。和食を選択したのだが失敗。どう見ても洋食の方がおいしそうだった。ていうか、デザートにあんパンとは如何なものか。
 食後、暇だったので映画を見た。この間のタイ航空と違って、ちゃんと日本語吹き替え版があるのに感動した。ただし、品揃えはそれほど良くないのと、タイトルの日本語訳が変だった。「鉄のお女さん」とか「機関銃の説得者」って一体なんじゃ?私は「センターオブジアース」を見た。ジュールベルヌマニアでないとピンと来ないかな。クオリティーもたいしたことはなかった。「鉄のお女さん」(要はマーガレット・サッチャーの映画。原題「The Iron Lady」)の方にしておけばよかったか、とちょっと後悔(ちなみに、The Iron Ladyをインターネットの自動翻訳にかけてみたら、ちゃんと「鉄の女」と訳してくれた。いったい何をどうしたら「鉄のお女さん」になるのかわからない)。その後、パソコンを出して仕事をする。前回の反省を生かし、今回はちゃんとバッテリーが長時間持つものを持ってきたので安心して使える。さらにワイヤレスでインターネットに接続できるタイプなので、有線接続が皆無の東南アジア事情にも対応できるに違いない、と期待している。
 ハノイに着陸するときの衝撃がすごくて、思わず「下手くそ」とつぶやいてしまった。ハノイは日本の古い地方空港みたい(写真002)。滑走路の端っこがぼこぼこだったのが気になった。ハノイで3時間ほど待たされた。暇なのでお土産物屋さんを見て回ったが、活気はあまりなく、店員にもやる気があまりなかった。ある店舗では店員がおらず(写真003)、水を買おうとしてうろうろしていたら、ベンチに座っていた女性が来てレジの対応をしてくれた。立ちっぱなしが面倒だから、近くのベンチに座ってよう、と言うことなのだろう。
 ベンチに座ってみていたら、空港の時計がバンコク標準時に比べて10分遅れていることに気がついた。空港内の別の時計も同じ時刻を指していた。確かハノイはバンコクと同じ時間を使っているはずだが、まあ、なんかの手違いかな、と思っていた。自分の腕時計で搭乗開始の時間になったが、窓口では全然準備が始まらない。ただ時間にいい加減なだけかと思っていたら、そうではなかった。なんと、10分遅れの空港の時計がその時刻になると、係員がきっちりとその時間にゲートを開けた。どうやらこの空港には特殊なローカルタイムがあるらしい。
 長い待ち時間が終わり、ビエンチャン行きの飛行機に乗り込む。アラブの航空会社からのお下がりなのだろうか?シールで隠していたが、座席に書いてある注意書きがアラビア文字だった。さっきのベトナム航空の飛行機よりも座席がちょっと広くて助かった。雨季なので窓の外は雲だらけ(写真004)。それはそれで大変いい眺めだった。1時間後、ビエンチャンの空港に到着(写真005)。滑走路はハノイの空港よりもちゃんとしていた。後は古くて狭い空港って感じ。空港から車でビエンチャン市内へ向かう。市内の雰囲気はタイにそっくり(写真006)。国境を接した隣の国だから当然か。ホテルの設備(トイレとかシャワーとか)もタイとほぼ同じだった。設備はぼろい。ドアの鍵が閉められなくて閉口した。タイ人のカウンターパートに聞いたら、言葉は95%わかるそうだ。ちなみに、文字が違うのでそっちの方はあまりわからないとのことだった。チェックインした後、夕食に向かう(写真007)。タイ人に案内してもらったから当然かも知れないが、入ったレストランはタイと全く同じ雰囲気だった。品数があまりなさそう。黄色いヌードルというのを頼んだら、あんかけ堅焼きそばが来た。味は、ま、こんなもんか。
 ホテルに戻ったら、突然玄関前で工事が始まっていたのにはびっくりした。このホテルではワイヤレスでインターネットが使えるらしい。しかし、検出した接続先を全て試してみたが、結局インターネットにはつながらなかった。やっぱりそうだよね。そう甘くはないよね。目覚まし用に携帯電話の電源を入れたら、なんと電波が通じた。タイでは最初から最後まで圏外だったのだが。。。ラオス、なかなかやるな!ネットはつながらないくせに。。。しかも、ご丁寧にNTTからSMSが入る。あなたの契約では、もし使ったらとんでもない値段がかかるよ、とのこと。まあ、使わないけどね。しかし、下手に通じるだけに、もし知らずに電話をかけてきた人がいたら問題だな。
 とりあえずシャワーを浴びたが水圧が低くて手間取った。風呂上がりに水でも飲むか、と冷蔵庫を開けたら、ミネラルウォーターが2本入っていた。しかし、1本は既に開封済みだった。泥棒か?と思って荷物をチェックしたが、無くなっているものはなさそうだった。まさか水だけ飲む泥棒なんてものいないだろうから、おそらく前の宿泊客がちょっとだけ飲んだのをそのまま放置してあるのだろう。この1本だけで明日まで過ごすのか、と思ったら気が滅入った。眠くなったので、現地時間11時に就寝。あぁ、アイスが食いてぇ。

2012年7月24日

 早めに寝たので午前6時に起床。外は雨。雨がしとしと降り続いていた。7時半にロビーで待ち合わせて朝食へ向かう。食っているものはタイとほぼ同じ。ちょっと唐辛子のたれを入れすぎて苦しんだ。次回からは半分にしよう。
 朝食前に聞いた話では、リーダーとタイ人のカウンターパートがラオスの水産研究所に行ってミーティングし、その間他のメンバーはホテルで機材の準備という話だったが、朝食中に状況が変化したらしく、結局全員でラオスの水産研究所に向かうことになった。両替もしてないし、水も買ってないので、昼食まで水なしか。結構苦しい。チェックアウトの時、バーツで料金を受け取ってもらえたが、おつりのストックがないらしく、ちょっと手間取った。ラオスではほぼ小銭しか流通しないと考えた方が良い。一応気を遣ったつもりだったが、まだまだ不足だったようだ。ドルも両替してきたが、全部1ドル札に換えれば良かった。
 ラオスの水産研究所は市内中心部にあり、いくつかの研究所が集合しているらしい。建物は映画の中に出てくる昔の北大という感じ(写真008)。レトロな作りであった。リーダー+1名がミーティング、他のメンバーが実験室で機材の準備と現地の学生への説明をしている間、役立たずの私は同じ実験室の流し台の横で内職に励む(写真009)。パソコンの周りを小さいアリがうろちょろしていてちょっと気になったが仕事ははかどった。
 昼食は研究所敷地内にある屋台(写真010)。付属のレストランも屋台とはなかなか。塀のすぐ外がメコン川だということなので、早速拝みに行った。確かにでっかい川だったが、ビエンチャン付近だと、増水した利根川と荒川の中間くらいの印象だった(写真011)。「雄大なメコンを見れば世界が変わる」ということで強制連行が始まったのだが、残念ながら特に世界は変わらなかった。とりあえず濁った川だった。雨も降っていたので早々に退散。
 午後にもう少し準備した後(私は内職の後)、午後3時半に車2台に分乗して目的地のダム湖へ向かう。道路は結構な無法地帯(写真012)。バイクがとにかく多い。バイクは遅いので、追い越しをかけるのだが、そうすると正面から来る車と衝突しそうになる。バイクが障害物をよけようとしてふらふらと真ん中に出てきたり、対向車線の車がバイクの追い越しをかけてきたりすると結構怖い。横から車や人や犬が出てくるし、スリルがある。そのたびに運転手さんは「くっくっく」と笑っていた。ま、笑うしかない、ということだろう。
 都市部のバイクでは、運転手は6割方ヘルメットをかぶっていた。全ての人がノーヘルだったタイとは対照的。しかし郊外に出るとほとんどノーヘルになった。さすがにラオスの道路は整備が良くない。でこぼこしてるし、道幅も狭い。そこをバイクが走っているものだから、追い越すときが都市部よりも怖かった。
 事情はよくわからないが、途中で何かの事務所により、そしてダム湖に向かう。ダム湖に近づくと道路はひどくなる。穴ぽこだらけで走ると車がぼっこんぼっこん揺れた。さらに、いかにも最近崖崩れしました的な道を通り抜け、観光地らしきところについた(写真013)。こんなところに客なんか来るのか?と不思議になるほど山奥に、現地レベルでそれなりの店が並んでいた。ちなみに、湖から見るとわかるが、ものすごい斜面に立っているせいか、建物はみんな細い柱で支えられた“投入堂”みたいな作りをしていた(写真014)。もちろんあんな立派なものではなく、使っている木材はボロボロで、それぞれ今にも壊れそうだった。その一角に何かの事務所があり、調査地の選定と船を借りる交渉をしていた。1日8時間で3万円くらいだそうだ。
 それが終わって今回の宿泊地に向かう。途中で商店街を通り抜ける(写真015)。ドラマとかでみる戦後の闇市のような雰囲気で、店はボロボロだったが、多種多様な商品が並べられ、人も多く集まっていて結構な盛況であった。狭い道に人やバイクがあふれているので、車が通り抜けるのに苦労していた。
 到着したホテルは外観はそれほど立派ではなかったが(写真016)、ビエンチャンのホテルよりも備品がしっかりしていたし清掃も行き届いていた。ヤモリや蚊も侵入していないし、気を遣って整備しているのだろう。その意味では大変心地よかった。部屋に入った後、併設のレストランで食事(写真017, 018)。前菜代わりにかっぱえびせんが出てきたのにはちょっとびっくりした。日本のものよりちょっと堅い気がしたが、単に湿気ているだけだろうか?メニューはタイ料理と違いはわからなかった。暗くてよくわからなかったが、レストランの奥に広大な水上施設がありそうな感じだった。
 部屋に帰ってパソコンを立ち上げてみる。もちろんネットはつながらない。聞けば、併設のレストランではつながるそうだ。明日にでも試してみよう。明日の準備をしている内に、不覚にも寝落ちしてしまった。

2012年7月25日

 現地時間5時50分にセットした目覚ましで目を覚ます。そういえば今日の準備がまだ完全には終わっていなかった。大急ぎで準備した。ここで、痛恨の忘れ物が発覚。なんと虫除けスプレーを忘れてしまっていた!出発前に一番最初に準備したはずなのに、よもや入れ忘れるとは。。。そんなはずはないと思ってスーツケースの中を探し回ったが、やっぱり無かった。虫に食われまくるのはいやなのだが、忘れた以上仕方がない。耐えるしかない。そのせいもあって、6時20分の集合時刻に5分遅刻。そのまま朝食を取らずに直接移動し、昨日のダム湖畔の観光地に向かう(写真019)。6時40分に現地に着き、そこで朝食をとる(写真020)。どうやら、観光船を持っているレストランのようで、今日はその観光船を借りて調査を行うらしい。いわゆる屋形船のようで、屋根付きで、椅子と大きなテーブルが装備されていた(写真021)。我々は日本から6人、タイから4人、ラオスの現地関係者が7人くらいの一行なのだが、全員が乗っても十分なスペースがある大きな船だった。タイで乗ったボートとは偉い違いだ。あのときは炎天下の中、座ることもままならない窮屈なスペースで作業していたが、今回はゆったりものを広げながらできそうだ。ということで、私も机と椅子を使って内職に励むことにする。水の上と言うことなので、ノートと鉛筆しか持ってこなかったが、これならパソコンを持ってきても大丈夫そうだな。
 朝食後、船で目的地に向かい、湖の上で作業を行う(写真022その1,その2)。作業自体はタイで行ったものと同じ。これから定期的にモニタリングをしてもらえるよう、現地の学生に手順や装置の使い方を説明しながら作業を行う。ここではタイのスタッフが大活躍。既に手順をマスターしていて、現地語でわかりやすく説明くれていたようだ。
 曇りのせいか、全く熱帯らしくなく、風が吹くとむしろ寒いくらいだった(写真023)。日よけ用に長袖を着てきたが、寒さ対策で役に立つとは思わなかった。
 水上の作業の後、沿岸に向かい泥のサンプリングの実演を行う。その間私は同僚から頼まれたミノムシを探す。同時に陸上の生物相の観察も行った。今回は雨季とのことで、さすがに虫がたくさんいた。ハエもたかるし、蚊にも刺された。チョウチョもそこそこ飛んでいたし、トンボもたくさんいた。蜘蛛の巣も発見したので、飛翔昆虫もしっかりいるのだろう。しかし、クモの種類と個体数については日本の方が上に感じた。ベストシーズンではないのか、それとも元々少ないのかは謎。ミノムシについては、摂食痕がある木を狙って探すがなかなか見つからない、とあきらめかけていたら1匹だけ見つけた。ということで申し訳ないが早速捕獲(写真024)。(追記:この時点では外国から生物サンプルを持って帰っても特に問題はなかったが、この調査の少し後に「外国で勝手に生物サンプルを採集して研究してはならない」という規則が広まった。そのため、同僚は現地研究者との共同研究と協定の締結を模索したがうまくいかず、このミノムシは結局お蔵入りとなった。)
 その後昼食。チャーハンの上に目玉焼きがのったお弁当。おやつにポテトチップスが出てきたのでありがたくいただく。
 昼食後、湖の奥の方の島に向かい、泥のサンプリングを行った(写真025)。牛が放し飼いにされているようで、新鮮なでっかい糞が落ちていた。その場所でもミノムシを探したが、やっぱり見つからなかった。こちらでは、かなりレアな存在なのだろう。
 その後、午前中に仕掛けた一次生産量の測定装置を回収(写真026)。レンタルは3時までらしいので、大急ぎで船着き場に戻る。その後リーダーは今日の料金の支払いと明日の傭船の相談があるらしいので、我々はホテルに戻る。他のメンバーは、本日回収した水のサンプル処理のレクチャーを現地の学生に行うらしい。私は役立たずなので、部屋に戻り、今日回収したミノムシをアルコールに漬ける。殺生をしてしまった。もだえ苦しむ姿を見るのは心が痛む。大変申し訳なく、後味が悪かった。根性無しの私はやっぱり仮想世界向きのようだ。
 7時半ちょっと前に同僚が夕飯のお知らせに来てくれた。ついでにパソコンを持って行ってネット接続のテストをしたら通じた!しかし転送速度が遅い!まあ、ラオスだし、仕方ない。今日のカープは1対1の引き分けか。1点は堂林のホームランとは。ま、後半戦のスタートとしては上々だろう。それからメールをチェックする(某新聞のサイトよりも表示されるのが遅いとは何事か!シンプルなログイン画面なのに、何をそんなに読み込んでやがる。)とりあえずミノムシ捕獲成功の一報を入れておいた。
 今日の夕食は魚中心。聞けば、食物網の同位体推定に使うために市場で購入し、サンプルとして必要な分を除いたものを調理してもらったらしい。魚のフライが2種類。片方の30センチくらいの、アロワナをひっくり返したような魚はレアな一品で高額らしい(写真027)。割り当てがちょっとしかなかったが、ま、ぼちぼちいけた。もう一つの魚のフライは切り身にされていたが、元々は50cmくらいはあったのだろう(写真028)。味はぼちぼちだが、とにかく小骨が多くて食べにくい。もう一つは頭の大きさが5cm位の魚のスープ。頭の大きさしかわからないのは、私の椀には運悪く頭しか入っていなかったからだ。ということで、ほとんど食べるところがない。動物性タンパクがほとんど無い、寂しい食卓であった。これで3ドル50セントはちょっと如何なものか。唯一いけたのは、モーニンググローリーという茎の炒め物。ちょっと辛めだったが、歯ごたえが良く、大変楽しめた。夕食後、メールの返事を出していたら9時になり、レストランが閉店したので、途中で打ち切って部屋に戻った。明日も同じ時間(6時20分)に集合なので、早起きしなければ。

2012年7月26日

 この日は前の日の反省を生かして5時40分に起床。これなら安心だ、と思っていたら案外手間取って結局2分遅刻した。この日も天気は曇り。昨日と同じく、そのまま出発し、例のレストランで朝食をとる。今日は船の上ではなく、2階のレストランスペースで麺料理を食べた(写真029)。タイでよく食べたのと同じだ。朝食後、7時半に出発。今日は湖の奥の方へ向かうらしい。1時間船に揺られて目的地に到着。早速水の分析を行う。今日は主に現地の学生にやってもらい、手順を覚えてもらうようにするらしい。その間、私は内職。今日はパソコンを持ってきたが、昨日のうちに急ぎの仕事は終わったので、水の上でパソコンを出す気にならず、結局ノートと鉛筆でモデルを作っていた。
 午前中に装置を仕掛け、湖の奥の方の陸地へ向かい、底泥のサンプリングを行う(写真030)。このときから晴れ間が出て暑くなってきた。今まで赤い泥でできた島ばかりだったが、突然石灰岩の島が出てきてびっくりした(写真031, 032)。ここでミノムシを探す。森までは距離があったので見つからないかな、と思ったが、近くの低木の中に3つほど発見した。ちょっと軽そうに見えたので、中身が入っているかどうかはわからない。
 そういえば書き忘れていたが、今回の湖では、湖岸に底生生物の痕跡は見られなかった。やはり、乾季に水が無くなって露出してしまうようなところには住みにくいのだろう。
 次に湖の中の島で同様に泥のサンプリングを行う。ここでも蓑虫を探したが、見つからなかった。そういえば、島になっているところには蓑虫はいないな。聞けば、タニシのような巻き貝もいないという。もしかしたら、島の生物地理のようなことが、この地域でもできるかもしれないな、と思った。
 ここ既に時計は1時を回っていたが、午前中に仕掛けた装置の回収をしてから昼食なんだそうだ。ということで結局昼食は2時から。結構おなかがすいた。飲み物を勧められるので、暑かったせいもあって飲んでいたらどうやら別料金だったらしい。明日はちょっと気をつけよう。
 途中でラオスの女子学生と少し話をした。大学院に進学したいのだそうだ。今は希望の学科が無かったので農学部で勉強しているらしいが、本当は植物プランクトンの研究をしたくて、ゆくゆくは博士課程まで進学したいそうだ。ただ、ラオスには博士課程がないので、どこかの国へ留学したい、とのこと。日本にも行きたい、と言っていたのでリーダーに横パスを出しておいた。植物プランクトンは守備範囲外だ。
 その後も時間ぎりぎりまで2カ所で泥のサンプリングを行い、この日の作業は終了。皆が後処理をしている間、部屋に帰ってパソコンをいじる。夕飯前にネットをつないでメールを見ようとしたが、この日は機械の調子が悪いらしくてつながらなかった。夕食後も試してみたが、やっぱりだめだった。仕方がない。1日だけでもつながったことを幸運だと思おう(写真033)。
 夕食後、タイ人のカウンターパートが14チャンネルでロンドンオリンピックの日本―スペイン戦を中継してると教えてくれたので、早速堪能させていただいた。スペイン相手に互角に渡りあっていたので、結構がんばるなと思っていたら、永井のチェイシングからコーナーキックを獲得し、扇原のコーナーキックを大津が右足ダイレクトで決めてなんと日本が先制する。その後さらに永井がボールを奪って最終ラインから抜け出そうとしたところをスペインDFが永井を倒してしまい、一発レッド。これで日本が人数的に優位に立つ。スペインは数的不利な上に、同点に追いつくために攻めに出なければならない。そのため、日本には山のようにカウンターのチャンスが訪れるが、そのことごとくを外し続け、結局スコアは1-0のままだった。勝利の瞬間の大津の涙が大変印象的だった。ボルシアMGでベンチに入ることもままならなかった彼にとって、このゴールが人生を変えるものであることを願っている(相手のファールで怪我をしたらしいのがちょっと心配)。それから、吉田と徳永が入ったことにより、ディフェンスラインが格段に安定度を増したと思う。特に徳永がこんなにいい選手になっていたとは。。。お見それしました。
 あれだけぼろくそに言われていたチームがスペイン相手にこの結果を見せたことは大変すばらしい。関塚監督を始め、選手、スタッフの全員にこころから敬意を表したいと思う。しかし、私はあのマイアミの奇跡を決して忘れてはいない。あのときも、せっかくブラジルに勝ったのに、次戦のナイジェリアに負け、3戦目のハンガリーには勝ったものの、結局得失点差で決勝トーナメント進出を逃した。その意味で、後半あれだけあったチャンスの内、1つや2つは決めておいて欲しかった。あと、大津と酒井の怪我が気になる。大津については、チーム力を落とさないバックアップがまだ三重にあるが(斉藤か宇佐見をそのまま入れるパターンと、トップに杉本を入れ、永井を左サイドに使うパターン)、酒井については酒井豪徳しかいない。もうしわけないが、もう一人のサイドバックはこれまでほとんど試合に出ていないのでちょっと不安。まだ初戦が終わっただけなのだから、とにかく早く回復してくれることを祈っている。(酒井の方は完全な自爆だったので、残念だった。せっかくハノーファーに移籍が決まったのだから、早く治してください。)とにかく次戦、集中して戦って欲しい。たぶん帰国してると思うので、テレビの前で必死で応援します。
 続いて放送されたウルグアイーUAE戦を横目で見ながらこれを書いている。久しぶりにUAEを見たが、スピードはそのままに、個々の選手のテクニックが向上し、ちゃんとパスをつないで攻めていた。最近ユース世代ではかなりの成績を残していることは知っていたが、それもごく当然のことだと思われた。ていうか、(オーバーエージで出ている)イスマイル・マタルが見事なスキンヘッドとひげ面になっていたのはびっくりした。あんなに初々しかったのに。。。まあ、彼もいい大人の年頃だろうから当然か、と思っていたら、スルーパスに反応して抜け出したイスマイル・マタルが見事に先制ゴールを決めた。これで俄然試合がおもしろくなった。飛道具のスアレスまでうまくボールがつながらなくて苦労していたが、しかしそこはさすがにウルグアイ。前半の終盤に見事なフリーキックを決めて同点に追いついた。後半も楽しみではあったが、明日も早いので前半終了時点で打ち切って就寝。

2012年7月27日

 この日も同じスケジュール。前日の反省を生かし、さらに5分ほど早起きをし、定刻に集合することに成功。今日もそのままいつもの湖畔のレストランに向かい、そこで朝食をとっていつもの船に乗り込む(写真034)。そして1時間半ほど揺られて湖の最奥部に到着し、そこで水関係の作業を行う。私は内職をしたり、仕事のない同僚と話したりしていた。3日目ともなるとラオスの学生さんも手慣れた様子だった。その後、近くの陸地に上陸し、同僚が泥のサンプリングをしている間、岸辺でミノムシを探す。しかしここでもやっぱり見つからない。葉っぱに草食性昆虫の食痕はたくさんあるが、ミノムシは全く見あたらない。何となくだが、ミノムシはこの場所では最適では無いのだろう。熱帯なので生産量が高く、生物量が多く、その分捕食動物も多くなるが、対捕食者戦略を重視して装甲を厚くするよりも、装甲を薄くし、多少の犠牲が出ても、とにかく豊富にある餌を早く食って早く成長する方が有利なのだろう。その方が、草食動物同士の資源競争にも勝てるし。
 その後近くの対岸にも上陸し(写真035)、泥のサンプリングを行った。坂道の少し上に陸稲の畑があるからそこの土を採ってきて欲しい、と同僚に頼まれたので、坂道を登ったが、特に畑があるように見えなかった(写真036)。しかし、よく見てみると、整地も何もされていないところに何となく道があり、その両側に陸稲と思われるイネ科草本が何とかかろうじて整列して見えるように植えられていた。ということで、何となく平面そうな場所を選んで土のサンプリングを行った。ここが最後のチャンスだったので時間いっぱいミノムシを探したが、ここでもやっぱり見つからなかった。
 その後、午前中に仕掛けた装置を回収し、少々処理を行った後、少し遅めの昼食となった。前の二日はただの弁当だったが、今日は料理が、宴会か!と突っ込みたくなるくらいに豊富に並べられた(写真037, 038)。今日が最終日と言うことでサービスしてくれたのだろうか?もし、がっつりと通常の2倍以上請求されたら怖いな、と同僚と話しながら食べた(結局通常価格で収まった)。ご飯を食べながらゆらゆらと1時間半ほど揺られ、船着き場に到着。この日の夕食はここのレストランで6時半から宴会をするらしい。時間があるので一度ホテルに戻り、サンプルの処理を行う。その間私は部屋に戻って少々仕事を、と思ったが、疲れていて寝落ちしてしまった。特に何もしたわけではないが、どっぶりと疲れた。ちなみにこの事態を想定し、目覚ましをかけていたので宴会に遅刻はしなかった。
 ということで宴会開始(写真039)。品数自体は昼の方が多かったが、ま、ぼちぼち。野菜と鶏肉のスープがおいしかったし、ラープというアヒルの肉の料理がうまかった(付け合わせの、独特の味がする葉っぱにくるんで食べるのが流儀らしい)。あとは鳥の脚を煮たものか?味は普通だったが、一口食べようとするととがった骨を噛んでしまうので大いに困った。同僚が言うには、骨のすぐ近くの肉が一番うまい、とのことであったが、いわゆる鶏のもも肉はどこへ行ったのだろうか?
 宴会は調査船にも同乗していたチーママが大活躍。チーママの攻撃が大変厳しく、楽しそうに話をしながら全員と乾杯をし、みんな何度も一気させられていた。さぞかしビールの売り上げが上がったことだろう。商売上手だ。幸い現地語しかしゃべれないので、何発か被弾しながらも、何とか生き延びることができたが、もし日本語でやられたらひとたまりもなく撃沈されていただろう。ちなみに、チーママよりも年上と思われるボスママが後ろに控えていた(最初の船を借りる交渉の相手もこのボスママ)。10から20年前は、このボスママが今のチーママの役割を果たしていたのだろう。そしてせっせと給仕をしていたもっと若い女性店員が10年後には立派なチーママとなっていることだろう。
 宴会の締めはみんなで踊ることになっているらしい。踊りは嫌いなので逃げようとしたが逃げ切れず、手をひらひらさせる盆踊りのような踊りを2曲やった。そこで何とか逃げたが、現地の学生にステップを教わりながら、まだ何人か一緒に踊っていた。若い店員さんがより高度な手の振り付きの踊りを見せてくれた。なかなかよかった。ちなみに、チーママも負けじと同じ踊りを披露してくれた。さすがチーママ。こちらも見事なものであった。
 何人かが踊っている間、同僚が呼ぶので行ってみたら、光に魚が集まってきていた。今回、魚を見たのは初めてだった。メダカのような小さい魚がぼちぼち集まっていた。聞けば、ライトをつけると虫が集まってくるので、その虫を食べに来るのだそうだ。時たま水面からジャンプしていた。そして、20cmくらいの魚が時々姿を見せた。それはさっきの小さい魚を食べに来るのだそうだ。で、このメダカのような小さい魚は、干して味付けをして食べるので、漁の対象魚となっている。で、昼間は水面に姿を見せないので、夜に明かりをつけ、網ですくうのだそうだ。遠くの方にもその明かりが少し見えた。
 現地の学生とちょっと話をした。専門を聞くと、みんな生物学と答える。特に細分化された分野を答えるわけではない。私の出身研究室の昔話を思い出した。ずっと昔は、分野が細分化されておらず、みんな何でもやったそうだ。分類群に縛られることも無かったそうだ。今、ラオスはその状態なのだろう。私の仕事の話もちょっとだけしたが(コンピュータの中に生態系を作って遊ぶという話だけ)、向こうにしてみれば、何で生態学の中のごく狭い分野しかやってないのだろう、と不思議に思ったことだろう。生態系をどういう風に再現するのかぴんとこなかったみたいなので、目の前の魚を見せて、ああいう食物連鎖がもっと複雑になった食物網を再現する、と話したらよくわかったみたいだった。やっぱり目の前の現物というのはわかりやすい。
 宴会が終わり帰途につく(写真040)。ま、ぼちぼち楽しめた。料金が心配になったが、どうやら料理は向う持ちで、飲み代だけだったので、リーダーがまとめて払ってくれたらしい。ごちでした。

2012年7月28日

 この日は朝7時にホテル併設のレストランに集合し、朝食を食べる。ラオ・スタイル(いつもの味付けのおかゆ)とアメリカンスタイルが選べたので、アメリカンスタイルを試してみた。メニューはパンと目玉焼きとハムと野菜が3切れ。パンはちょっとかさついていたが味はおいしかった。目玉焼きは味付けされていないので、ナンプラーをかけて食べた。ハムは、いわゆる薄切りロースハムを煮たものらしい。味が無くなってかすかすだった。ま、安全の方が重要だよね。こちらもナンプラーでいただいた。
 朝食後、サンプルの処理と現地の学生へのレクチャーをしている間、荷物の整理とちょっと仕事をする(写真041)。朝食前はインターネットがつながったらしいので、私も持って行って試してみたが、残念ながらつながらなかった。いくつか連絡を取らなければならない案件があったが、ま、いいや。ラオスではいかんともしがたい。
 午前10時にビエンチャンに移動開始(写真042, 043, 044)。とにかく道路が悪くて、車が何度も飛び跳ねる。サスペンションは大丈夫なんだろうか?ちなみにこっちのお尻は既に限界である。2時間ほどかけてビエンチャンに到着。ここでラオスの大学の先生(ラオス側のカウンターパート)と会食するらしい。なにやら高級そうなレストランに入った(写真045, 046)。先生は既に来ていた。横浜のラミちゃんそっくりだった。聞くところによると、今回同行した学生のお父さんらしい。言われると確かによく似ていた。このレストランによく来るのか聞いてみたら、1年に1回くらいとのこと。まあ、さすがにそうだろうね。店の水槽に金魚が泳いでいるのが目についた。一部、見たこともない種類の金魚が泳いでいた。先生の息子さんに聞いてみたら、日本から輸入されたものだ、とのこと。私が立ち寄るようなペットショップでは売っていないものなのだろう。
 料理は店構えにふさわしい味だった。お弁当みたいな竹のかごに入った赤飯も、昨日まで食っていたものと違って炊き方も味も良かった。ちなみにこのご飯は、タイでは少しずつちぎって指先でこねこねしながら餅みたいにして食べるのが流儀なのだが、ラオスでは左手に多めにとり、ぎゅっぎゅっと何度も握りつぶし、それを少しずつちぎって食べるのが流儀なのだそうだ。偉い先生はリーダーがお相手していたので、我々随行員は学生とぼちぼち話をした。ラオスには博士課程というものが無いらしいので、現在、大学院の留学先を探しているそうだ。日本の大学も探しているが、日本語を話せることというのが条件になっているのがネックとのことだったが、私が大学院時代には、日本語が全く話せない留学生がたくさんいたので、日本語が条件になっていない大学はいくらでもあるから探してみることを薦めた。アメリカはどうなの?と聞いたら、もちろん行きたいのだが、留学するための資格を得る試験が難しい、とのことだった。どこにもいけなかったら、隣国タイの大学院に進学することになるらしい。
 午後2時に会食はつつがなく終わり、解散となった。ちょっと予定外だったのが、代金を日本人スタッフが負担することになったこと。まあ、よくある話ではあるが、都合の悪いことに高級店だったので、結局、このとき残っていた米ドルをほとんど持って行かれてしまった。この時点で残り11ドルとなってしまった。
 タイ、ラオスのメンバーとはここで別れた。ビエンチャン発の飛行機の時間は午後6時30分。5時に空港に行くとして、まだ3時間あったので、タート・ルアンという有名な寺院に立ち寄った。タート・ルアンは金ぴかの塔である(写真047)。繰り返すが、見事に金ぴかであった。京都の金閣寺みたいなものなのだろう。入り口で入場料(1ドルくらい)を払うが(写真048)、ここではキップしか受け取ってくれなかったので、キップを持っているメンバーにまとめて払ってもらった。
 発掘物らしい瓦や仏像が展示されていたが、仏像は見事なまでにすべて首が無くなっていた。宗教戦争でもあったのだろう。占領すると仏像の首を全部飛ばす、という話を聞いたことがある。タート・ルアンは、真ん中の塔を2重の外壁が囲むようになっているが、その外壁の作り方がいい加減で、真ん中の塔と角があっていなかった。本体、内壁、外壁それぞればらばらっていったいなんやねん。そのため、ちょうど対角線の位置で写真を撮ろうとすると、不格好にずれて変な写真になった(写真049)。こんないい加減じゃ、せっかく金箔を貼りまくっても、荘厳さがなくなって畏敬の念を抱いてもらえないじゃん。ちなみに、料金を徴収する門がついている塀(最外層の仕切り)もずれていた(写真050)。それから困ったのが、特に説明文や案内文がないこと。タート・ルアンの由来や伝説、さらに、タート・ルアンの正面になにやら英雄らしい銅像が飾ってあったが(写真051)、結局それらがどんな意味があるのか、全くわからなかった。
 この日は普通に真夏の暑さだったので、長居せず、1時間ほどですぐに喫茶店に移動した。2ドルのアイスコーヒーを頼む。この時点で残り9ドルとなった。そこで1時間ほど時間をつぶし、空港に移動した。みんなが荷物の詰め直しをしている間、近くの小さな店に行って、お土産用のコーヒーを購入した。ドルはもうないので、バーツで精算した。コーヒーが不味いとみなに迷惑をかけて申し訳ないので、小袋にしておいた。その後、チェックインして喫茶店らしきスペースで軽食をとる。ケバブを頼んだ人が二人いたのだが、お店の人はそれがよくわからなかったらしく、ケバブ2つって何?と戸惑っていたので、とりあえずこのテーブルに二つ持ってきてくれればいいよ、と言っておいた。同じものを個別に頼むという状況がわからなかったのか、ケバブが大きくて食べきれないと思ったのか(確かにちょっと大きかったが、食べきれない、というほどでは全然ない。)、そもそも最初の説明が悪かったのかは謎。
 搭乗までさらに時間があったので、他のお土産物屋さんも物色するが、あまりたいしたものは置いてなかった(写真052, 053)。ラオス名物、というものはほとんど無いらしい。とりあえずパイナップルチップスを追加した(これはちょっと評判が良かった)。ちょっと気になったのは、夕方4時くらいに軒並み店が閉まってしまうこと。その後は中華系とおぼしき経営者の店がちょぼちょぼ開いているくらい。そのため、十分にお土産選びを楽しむことができなかった。
 ビエンチャンから1時間ほど飛行する。雲の中を飛んだせいか、結構揺れた。ハノイに到着し、待合室に到着したのが8時半くらいだったと思う。飛行機は12時なので、ここで3時間半待つことになる。とりあえず夕飯を食べなければならないので喫茶店に入った。この時点で所持金の残りが9ドルになっていたし、あまりおなかがすいていなかったので、サンドイッチ系を注文(6ドル)。2ドルでアイスクリームがあったのでこれは是非、と注文しようとしたら、「こっちしか置いてないよ」と言われて店員さんが指を指したところを見たら、「ハーゲンダッツ 4ドル50セント」と書いてあったので、泣く泣く断念。外の売店で水(1ドル)を買って飲んだ。店内で無線LANも使えたが、みんなでご飯を食べている最中にパソコンに引きこもるのも気が引けたので自粛しておいた。
 1時間くらいいたが、あまり長居も出来ないので、店を出て土産物店を少しみた。来たときと違って、夜のハノイ空港のお土産物屋さんは活気に満ちていて、店員もやる気満々で盛んに営業トークしてきた。金属製の中国象棋のセットがあって、インテリアとしてなかなか良さそうだった。100ドルちょっとだったので買えなくはないが、こう言うのを買うと、帰ってから怒られそうなので自粛した。その他に特に魅力的なお土産もなかったので、後は外のベンチに座っていた。喫茶店を始め、土産物店も10時くらいで軒並み営業を取りやめた。一応パソコンを出して仕事をしていたが、あまりにも待ち時間が長すぎて疲れた。飛行機は遅れることがあるし、ぎちぎちのスケジュールにして乗り遅れたら目も当てられないし、仕方のないことだと思うが、とにかくつかれた。もうちょっと何とかならないものだろうか。。。
 12時出発のはずだが、11時半を過ぎても動く気配が無い。ハノイの空港には、案内表示がないのでいたずらに不安感がます。ちょっといらいらして搭乗券を見直してみたら、搭乗開始が0時30分と書いてあった。ということは出発は午前1時か。しれっと出発時間を1時間ほど遅らせたらしい。それならそうと搭乗手続きの時に一言言えよ。

 

2012年7月29

 そして日付が変わり、0時30分間際になって、乗客が窓口に列を作り始めた。日本行きの飛行機なので、乗客は大部分日本人。こんなところでも律儀に時間通り行動し、整然と列を作るところに国民性が表れるのか、と感心した。しかし君たちは知らない。この空港には特殊なローカルタイムがあることを。空港の待合スペースの時計はまだ0時15分なのだよ。案の定、列を作った人々はそこからさらに15分待たされることになった。ハノイ空港、恐るべし。自分に都合がよいように時間軸をいじくれるなんて、神か悪魔の所行だ。
 やっとのことで飛行機に乗り、一息ついた。結局4時間以上待たされ、疲れ切っていたので離陸前に眠りに落ちた。気持ちよく眠っていたのに、飲み物の配布で騒がしくなって目が覚めた。まあいいか、のども渇いているし。しかしこのあと、全く寝付けなくなった。疲れているのに寝付けないというのはつらい。幸いにも窓際の席だったので、窓の外を見ていた。途中、何度か記憶が飛んでいるので、実際にはうつらうつらしていたのだと思う。飛行機の窓は全く透明度が高くないが、それでも高空から眺める星空は美しかった。明け方には真夏のオリオンも堪能した。香港近辺を飛んだとき、それから明け方に上海近くを飛んだが、眼下の夜景がなかなか見事であった。これだけの明かりを放てるようになるとは、中国の発展はめざましいものがあるなと思った(後で同僚から、国の威信を示すために、見事に見えるところだけ飛ばしてるんじゃないの、との指摘有り)。また、揚子江の河口が大変印象に残った。海と一体化しているみたいに大きかったが、確かに川だった。メコンの本流よりもこっちの方が世界が変わりそうな気がした。その頃からちょうど夜明けだったが、地球の端っこの雲が赤く光り、その後だんだんとオレンジから白に変わりながら光を増していく風景はなかなか壮観だった(写真053, 054)。
 完全に夜が明けてから朝食が配られる。「和食と洋食、どちらがいいか」と聞かれたので、洋食を注文。行きのときは洋食の方がはるかに豪華だったからだ。しかし運ばれてきたのは洋食ではなく、しょぼいベトナム料理。確実に言えることは、ベトナム料理は洋食ではない。前述の「鉄のお女さん」の件もそうだが、ベトナム航空は日本語の使い方が決定的におかしい。日本語の使用状況について、日本人のスタッフが全く関係していないとしか思えない。おいしければまあ我慢するが、これがまた不味くて仕方がなかった。ていうか、味付けしろよ。ということで、付属の塩と醤油でべたべたにして流し込んだ。半ば怒りに震えて、ここで始めてメニューというものを確認したら、朝食は「和食」と「洋食orベトナム風料理」と書いてあった。見事にはめられた。まあいいや。和食も不味そうだったし、どっちでも変わらないだろう。この間のタイ航空よりも、日本語サービスを充実させていこうという姿勢は評価できる。しかし、せめて日本人スタッフにチェックさせることが必要だと思う。
 飛行機は1時間遅れて成田に到着。荷物は比較的すぐ出てきて、サンプルの植物防疫のチェックを受け、入国完了。とりあえず疲れた。前回よりも現地では比較的楽に過ごせたが、とにかく帰りが疲れた。今月は小笠原、ラオスと過酷な出張が連続して完全に疲弊してしまったので、しばらく動きたくない。

最後に

 規模の小さい店でなければ、米ドルもバーツも使える。しかし、店にはおつりのストックが無いことが多いので(おつりはキップでもらうことになってしまう)、細かくしていく必要がある。成田で両替したとき、窓口の係員の人が「細かい方がいいですか?」と気を利かしてくれたので大変助かったが、ラオスでは1ドル札がベスト。30枚くらい持って行ってもいいと思う。
 町中で買い物をしたいのなら、キップしか受け付けない店があるので、キップに両替した方がよいだろう(タート・ルアンの入場料はキップしか受け付けなかった)。ど田舎の小さい町でも両替屋があるので、必要な分だけ少しずつ交換しても良いだろう。ど田舎でも円をキップにすることは出来そうだが未確認。ど田舎でもキャッシュディスペンサーがあるので、万が一現金が底をついても何とかなる(実際に、リーダーは用船料などの支払いで現金を使い切ってしまい、クレジットカードでお金を引き出していた。)

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写真001: ベトナム航空の飛行機

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写真002:ハノイの空港

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写真003:昼間のお土産物屋さんは全くやる気が感じられない。

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写真004:雨季なので窓の外は雲。

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写真005:ビエンチャンの空港

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写真006:夜のビエンチャン市街

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写真007:この日のレストラン。タイと同じく、屋台風。

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写真008:ラオスの水産研究所

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写真009:内職中。寂れた裏庭。

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写真010:付属レストランも屋台。

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写真011:メコン川本流。ビエンチャンだとかなり内陸だし、私のやさぐれた心には”雄大な河川”とまでは感じられなかった。

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写真012:3車線で、真ん中の車線を向かい合わせで奪い合うという感じ。現地の人でないと運転は厳しいと思う。

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写真013:今回の調査地、ナムグム湖に到着。

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写真014:地震や土砂崩れがなんぼのもんじゃい!という感じの刹那的な建物。

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写真015:活気にあふれてはいる。頼むから道路の真ん中には出てこないで。

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写真016:期間中の宿泊施設。

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写真017:宿泊施設のレストラン。

写真018:ここから料理が出てくる。他にも色々おいてある。

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写真019:この店が持っている船にお世話になる。1階は乗船場。2階はレストラン(宴会場)。

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写真020:この日の朝食。おかゆと付け合わせ。普通においしかった。

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写真021:調査船全景。旧帝国海軍軽空母の祥鳳とか鳳翔とかを連想してしまった。鈍足だが、船首が真っ平らなので消波機能がなく、航行中は衝撃が強かった。

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写真022その1:ナムグム湖はダム湖。水をせき止めている壁。

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写真022その2:ダム壁を表から見たところ。

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写真023:期間中、湖はずっと曇りもしくは小雨だった。

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写真024:ミノムシ。現地ではレア。

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写真025:湖のあちこちにこういう小島が顔を出している。

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写真026:こんな風に浮かべて測定するらしい。

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写真027:この日の魚料理その1。珍品の方。

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写真028:魚料理その2。

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写真029:この日の朝食。

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写真030:対岸に上陸。

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写真031:突然、石灰岩の露頭が現れる。

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写真032:風化して先端がとがっている(ラピエ)。

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写真033:この日の夕食。

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写真034:今日もナムグム湖の調査。

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写真035:本日の調査地。

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写真036:これが畑だとは気がつかなかった。一度引き返して「畑なんかないですよ」と言ったくらい。

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写真037:豪華な昼食。かごに入ったご飯を左手に取って、手でこねこねして餅状にしてから右手でちぎって食べるのがラオスの流儀らしい。

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写真038:デザートはラオスのバナナ。短いが甘みは強くておいしい。

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写真039:この後、ビール一気飲み攻撃にさらされる。

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写真040:宴会終了。

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写真041:散歩中。宿泊施設奥にはこういう庭園があった。

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写真042:ビエンチャンへの移動中。

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写真043:ビエンチャンに近づく。なぜか日本料理店が結構目につく。

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写真044:なんとなく由緒ありそうな塔。

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写真045:庭園付きのレストラン。個人では入るのにちょっと二の足を踏む。

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写真046:レストラン内部。豪華な雰囲気でした。

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写真047:タート・ルアン遠景。はい、金ぴかです。

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写真048:入り口。ここで入場料を払う。

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写真049:近くで見たタート・ルアン。ちょっとずれてて落ち着かない。

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写真050:入り口の門もやっぱりちょっとずれている。

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写真051:お土産物屋その1。

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写真052:民族衣装のお店。

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写真053:夜明け直前。

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写真054:夜明け直後。日の光に照らされた雲が美しい。

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